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[地球を読む]日本の戦後60年 「市民宗教」繁栄の礎 山崎正和(寄稿) (読売 2005/07/31朝刊)
◇劇作家 第2次大戦後、見た目の廃墟(はいきょ)のなかで、じつは日本には大きな遺産が残されていた。戦前の1930年代に、すでに政治経済の近代化と、市民社会の基礎が築かれていたからである。 鉄道と電力の全国普及はすでに終わり、各種の重工業もほぼ整備されていた。初等教育の義務化は徹底されて、非識字率はつとにゼロに近づいていた。普通選挙も施行されて、国民は政党政治を経験していた。芽生えとはいえ、労働組合の活動もあり、知識人は社会主義やアナキズムのあらましも知っていた。 大都市が誕生し、都市的な生活様式も大衆文化も賑(にぎ)わっていた。情報の発展はめざましく、ラジオも映画も、今日の大新聞も出揃(でそろ)っていた。郊外住宅、ターミナル百貨店、民間航空、女性事務職も誕生し、豊かな家庭では電化製品さえ知られていたのである。 たしかに30年代の終わりから軍国主義が台頭するが、戦中でさえそれが国民の心を完全に支配したわけではなかった。宝塚歌劇も職業野球も半ばまで生き残ったし、谷崎潤一郎など耽美(たんび)主義の作家も広く読みつがれた。国家神道は鼓吹されたが、国民の心になじんでいたのはむしろ仏教的な無常観に近いものだった。戦争前からの数年間、日本人は思想的に奇妙な二重生活を送ったというのが実情だろう。 そしてこのことが日本の敗戦後の移行を滑らかなものにし、混乱を最小限に抑えて、復興に向かわせる要因となった。にわか仕立ての軍国主義の衣を脱ぐと、国民はただちに身についた市民感覚に帰れたからである。国家神道はイスラムのような固い伝統を持たず、逆に公序良俗の意識は戦後のイラク社会とは違って根強かった。復興をめざすにつけても、日本人にはなつかしい過去があり、そこへ帰るべき具体的な目標のイメージがあった。またジャズもハリウッドも親の代から親しんでいて、アメリカ化といっても違和感はなかった。 60年代までの日本は、したがって30年代の延長であり、拡大であった。新しく女性の解放と農村の救済を加えれば、社会運営の思想もそのままで通用した。勤勉、清潔、協調、向上心、核家族の愛といったモラルも、大宗教や大イデオロギーの指導なしに維持された。自由か平等かという大議論なしに、常識的な善意から福祉政策も整備された。この間、日本人はいわば「プロジェクトX」の時代を生きたわけだが、それを支えた精神は暗黙の世俗的な道徳、常識的な規律、「市民宗教(シビル・レリジョン)」ともいうべきものであった。 ◆「常識的倫理観」普遍化の時 その後日本人は国際化の波に洗われ、不況や経済摩擦の危機も経験し、冷戦と国際テロの脅威も知ることになった。日本は「大国」になって「バッシング」も受け、ふたたび侮りを蒙(こうむ)って「ナッシング」と呼ばれることもあった。だがその間、国民の国家観、世界観に大きな動揺がなく、一貫して「市民宗教」を守り抜いたことは注目してよいだろう。 戦後60年を振り返って、日本人が思想的に成熟したことはほぼ三つあるが、そのどれもがこの「市民宗教」に根ざしていると考えられる。第一はもちろん「政教分離」だが、この近代国家の基本というべき一点で、日本は世界のどの先進国にも先駆けている。 最近の米大統領選挙を見て日本人が驚いたのは、妊娠中絶や同性愛が宗教問題として争点となり、それが政治的な対立と直結したことだろう。またコーランの冒涜(ぼうとく)が中東の民衆をあれほど激怒させ、流血の危機を招いたのも日本人には少なくとも意外であった。逆にフランス政府が「政教分離」を叫ぶあまり、学校でイスラムのスカーフを禁止したのは、日本人の目には過度に神経質に映った。 日本人には妊娠中絶も同性愛も個人の倫理問題であり、コーランもスカーフも宗教ではなく、その象徴の問題である。個人の倫理問題に政治が干渉すべきではなく、象徴の扱いについて政治的に対立するのは過剰反応だと、日本人は感じている。ちなみに話題の首相の「靖国参拝」にしても、争われているのは追悼すべき人間の名前であって、靖国神道の教義ではない。反対者も賛成者も、靖国に一つの霊安所として以外の関心はないのである。 たぶんこのことと関連して、第二に日本人が達成したのはナショナリズムの克服であろう。つとに多くのサッカーの国際試合において、日本の応援団の公平さは世界的な評価を受けてきた。竹島問題で韓国の攻撃を浴びているさなかにさえ、女性の「韓流ブーム」にかげりは見られなかった。直近の中国の反日暴動にたいしても、日本の街では民衆のデモも中国人迫害も起こらなかった。 一方、若者の国際化は進み、NGOへの関心も広く高まっているのだから、この寛容が政治的なアパシー(無関心)の産物だとは考えにくい。むしろ若者の自然な感性がもはや民族単位ではなく、近代の普遍的な価値観にそって働いていると見るのが自然だろう。そしてたぶんそのことがいま日本の若者文化を力づけ、マンガやファッションやポップ音楽を中心に、大挙して国境を越えさせていると推察できるのである。 最後に日本の戦後を特徴づける第三の趨勢(すうせい)は、英雄崇拝とポピュリズムの道がほぼふさがれたことだろう。もともと「市民宗教」は常識の体系であるから、社会は穏健な常識人に信頼を寄せがちになる。カリスマ的な指導者は近代以前にも、大戦中にすら現れなかったが、戦後の自民党政治のなかで完全に後を断った。英雄不在がこれだけ続き、それに国民が不満を抱く様子もないことを見れば、これがこの国の永続する姿になったといえるだろう。 大宗教も大イデオロギーもなしに、1億人以上の国民が60年の安定を保ったことは、奇跡に近い。多元化する世界の将来を考えれば、これは貴重な歴史的実験だといえるかもしれない。だが「市民宗教」の理念はまだ普遍的に理解されておらず、外国では一部の知識人の言説にとどまっていることを、日本人は知っておかねばならない。しかもこの常識的な倫理観は無自覚のままに放置すれば、ただの惰性的な慣習、安易な便宜主義、仲間うちの自己満足に堕する危険もないとはいえない。 いま日本人に必要なことは、「市民宗教」もまた宗教であること、その暗黙の倫理のなかにじつは倫理が潜んでいること、したがって普遍化の可能性があることを、言葉にして語ることだろう。それは日本人の宗教を世界に布教するためではなく、日本人にみずからがときに世界の無理解に耐えても、粘り強く生きぬくために必要なのである。 ◇ ◇山崎正和氏=1934年、京都生まれ。大阪大学教授などを務め、現サントリー文化財団、兵庫県芸術文化協会理事。 写真=山崎正和氏
by alfayoko2005
| 2005-08-01 08:59
| LGB(TIQ)
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