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[追悼抄]2月 女性解放運動の草分け ベティ・フリーダンさん (読売 2006/03/07夕刊)
◇2月4日、心不全で死去、85歳 ◆新しい“女性の幸せ”訴え 「私の著書を全部読まなければ会わない」――。1991年末、インタビューの約束を取り付けてニューヨークに到着した私にベティ・フリーダンは電話でこう言い放った。 60年代に欧米で広がった女性解放運動。その火付け役となったフリーダンは強烈な自信とエネルギーにあふれた人だった。 結局は、未読の本についてはフリーダン指定の部分を読むだけで許してもらい、面会がかなった。そして、フリーダンは時間がたつのを忘れて女性論を展開した。ただ、やはり女性解放運動の思想的支柱となった仏人作家、シモーヌ・ド・ボーボワールに私が触れると怒り出し、強烈なライバル心を隠さなかった。 1921年、ユダヤ系ロシア人の移民の娘として米イリノイ州に生まれた。初めから女性の権利に目覚めていたわけではない。心理学で修士課程を修了した彼女に博士課程に進むための奨学金が与えられることになったが、これをねたむ当時のボーイフレンドの反対を受け、奨学金も進学もあきらめたというエピソードがある。 フリーダンを女性解放運動の“教祖”に押し上げたのは、63年に発表した著書「新しい女性の創造」だ。この中でフリーダンは、郊外の家で豊かな物に囲まれ夫と子供の世話をして暮らすことが女性の一番の幸せという、当時の常識について、女性を新しい「人形の家」に押し込めるものに過ぎないと断じた。広告会社幹部の夫と3人の子供とニューヨーク郊外の家で暮らしていた彼女自身が、「人形の家」の住民だったと振り返っている。 フリーダンはさらに女性の権利拡大に向け行動を起こすべく66年に民間団体、「全米女性機構(NOW)」を発足させた。 だが、彼女が起爆剤となったはずのウーマンリブは、過激化。ブラジャーを焼き捨て、同性愛の権利も要求する運動にフリーダンはついてゆけなくなった。さらに過激派から、「高学歴の白人女性のためだけの活動だ」と批判にさらされ、70年にはNOWの会長を降りた。 米社会で保守派が台頭した80年代の「冬の時代」を経て90年代に入り、再び、女性の権利に世間の関心が高まると、日本をはじめ世界各地を精力的に駆け巡った。晩年は老いの研究に励み、著書「老いの泉」にまとめるなど、最後まで社会問題の先駆者たらんとした。(東京本社国際部 秦野るり子) 写真=ニューヨークのセントラルパークで、女性の権利拡大を訴え演説するベティ・フリーダンさん(1970年)=AP
by alfayoko2005
| 2006-03-08 11:17
| ジェンダー・セックス
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