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opinion news project らうんじ 戦後60年
純潔の60年 湯瀬里佐(社会部) (朝日 2005/09/05朝刊オピニオン面) 国が始めた「純潔」という名の性教育、潮が引くように消えていった。 性のタブー視は遠い昔のことなのか。 「性教育というのは我々の年代では教えてもらったことがありませんが、知らないうちに自然に、一通りのことは覚えちゃうんですね」 1942年生まれの小泉首相は今年3月、参院予算委員会で行われた小学校の性教育をめぐる質疑の中で、こう語った。 無理もないことで、首相が学校教育を受けた50年代、日本で「性教育」ははとんど行われなかった。性がタブー視されるなかで、政府は男女の問題に関する教育をいろいろな方法で推し進めようとした。その施策の多くに、『純潔教育』の名がついていた。学校で、家庭で、地域社会で掲げられたスローガンだ。 敗戦2年後の47年、旧文部省は「純潔教育の実施について」という通達を出した。 「男女の間の正しい道徳秩序をうち立てることが新日本建設の重要な基礎である」と説き起こすこの通達が、戦後の純潔教育路線のスタートになる。 純潔教育委員会、純潔教育分科審議会、純潔教育懇談会と名を変えながら文部省の諮問機関が63年まで活動し、純潔教育基本要項、純潔教育の進め方試案、年代別の純潔教材などを次々に発表した。 55年に出た「純潔教育の普及徹底に関する建議」に、半世紀後の首相答弁を予言したような記述がある。 「性に関しては、自然のうちに認識し、経験を経て心構えができてゆくのであるから、放っておいてもよい、という意見」が「大衆の声として成人男子から聞かれる例が多いが、これは、昔ながらの習俗的な意識から一歩も出ない、甚だ危険な考え方というべきであります」。 「建議」は、純潔教育が「封建的貞操観、道徳観、宗教的禁欲主義などの先入観のみによって行われることはのぞましくない」「あくまでも科学的合理性の上に立って考えられなければならない」と述べている。 65年、宇都宮市で全国純潔教育研究集会が開かれ、教師やPTA約1200人が集まった。 藤本厳さん(72)は和歌山から参加した。市の教育研究所員として、純潔教育の研究を命じられたばかりだった。年配教師が儒教的な道徳を説くようなものを想像して出かけたら大違いだった、と言う。「性の教育を通じてこそ真の男女平等が実現できる、という講演があって、感銘を受けました」 藤本さんはもともと中学の理科教師。周りの学校で純潔教育をしているところははとんどなかった。「各地でごく一部の熱心な先生が、純潔教育という名目で、今に通じる性教育をしていたんです」 純潔に名を借りた性教育は学校以外でも行われていた。 67年に文部省がまとめた「社会教育における純潔教育の概況」には、100を超す実践例があげられている。母親教室、青年学級、成人式後の講演……。公民館や保健所での新婚学級も紹介されている。 「純潔教育なんていう意識はありませんでした。私たちがしていたのは健康教育ですから」。杉浦芳子さん(73)は言う。勤めていた川崎市の保健所が「婚前学級」を開いていた。 結婚式場の申込者名簿を借りたり、美容院にパンフレットを置いたりして婚約中のカップルに呼びかけ、避妊の方法を中心に、夫婦の心理や家計を指導した。スーツの新郎と白い帽子の新婦が、万歳に送られて新婚旅行に出発した時代だ。「みんな緊張しながら素直に勉強して。とても喜ばれたんです」 古い性道徳から性科学、人権教育まで抱えて一時代を覆った純潔教育は、70年ごろを境に潮がひくように消えていく。 性犯罪が増え、本格的な対策が叫ばれた。深夜番組や週刊誌の性情報があふれ、ウーマンリブ運動も始まった。処女尊重を連想させる「純潔」は、お題目としても、もたなくなった。 72年、文部省は「純潔教育と性教育との関係について」という通達を出す。「純潔教育と性教育とは本来、その意義、理念、目的、内容が異なるものではないと考えられます。よって今後は純潔教育と性教育が同義語であるとの見解に立って、事務をすすめることとします」。役所流の「純潔」撤回宣言だ。 しかし「その後も文部省にはすんなり性教育と言い換えるのをためらうようなムードがあった」と田能村祐麒さん(82)は見る。20年にわたって保健体育の指導要領作りにかかわり、文部行政に詳しい。 86年、文部省は「生徒指導における性に関する指導」という早口言葉のような名前の手引を作った。「性教育」と言った方がいい、という声があったが、抵抗の方が強かった。 田能村さんによると、文部省が完全に「性教育」に切り替えたのは99年のことだ。指導手引書「学校における性教育の考え方、進め方」が作成された。 同書は版を重ね、今年6版が発行されている。 酒井政利氏(音楽プロデューサー) 苦情押しのけた「ひと夏の経験」 ――72年に南沙織さんが歌ってヒットした「純潔」は、酒井さんの命名ですね。 プロデュースする曲のタイトルは全部、自分でつけています。あれは、あえて死語のような言葉を使った。会議で発表した時、笑い声が上がったのを覚えています。 ――歌詞は「嵐の日も彼とならばお家が飛びそうでも」と、情熱的です 「『同棲(どうせい)時代』という劇画の連載が始まった直後で、大きな影響を受けました。傷つきながらも愛を貫く主人公。性の乱れが指摘されていたけれど、若者はやはり純愛を求めているんだ、と思った。ただし昔風の純愛ではなく、行動する純愛。激しく愛を貫く覚悟、潔さ。それが新しい純潔だ、というメッセージです」 「もう一つ狙いがありました。当時、南沙織は男性スキャンダルの渦中にいて、週刊誌に事実無根のひどいことをさんざん書かれていた。それに作品で反論しようと考えたんです。ファンには十分、伝わったはずです」 ――山口百恵さんの「ひと夏の経験」は、2年後の作品ですね。「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と、ショッキングな歌い出しでした。 「傷ついても愛を貫く、行動する純愛。『純潔』と同じテーマです。当時は3カ月に1曲のペースだったから、季節の歌でもあった。刺激的な夏を、10代の子に分かる、ちょっと文学的な表現で、と考えてつけた曲名です」 「最初、お母さんたちからラジオ局に苦情が殺到したんです。中学生にこんな歌を歌わせるなんて、と。あれがミニスカートでにこにこしたアイドルだったら、つぶれていたかもしれない。15歳と思えない、はらの据わった子でした。表現しようという懸命な姿勢が理解されて、批判が収まっていったんだと思います」 ――今の時代でも「純潔」は歌のテーマになりますか。 「最近は、身の回りの小さな出来事の歌ばかり目立ちます。真実の愛を貫こうとして人間が成長し、自立していくことを純潔と呼ぶなら、いつでも大切な、大きなテーマになるはずです。この時代ならではの純潔を歌った曲が出てきてもいい、と思います」 若者と性の60年 (写真)白いバラは「純潔」の花言葉を持つ=宮島夕子撮影
by alfayoko2005
| 2005-09-07 10:42
| ジェンダー・セックス
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