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週刊医学界新聞 第2652号 2005年10月3日
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 69回 ピル(医療と性と政治)(1) 抗議の辞任 李 啓充 医師/作家(在ボストン) 8月31日,米食品医薬品局(FDA)副局長(兼女性健康部長),スーザン・ウッドが辞任した。26日に,FDA局長,レスター・クロフォードが,緊急経口避妊薬「プランB」の処方箋なしの店頭販売認可について,最終決定を延期したことに対する,抗議の辞任だった。 緊急経口避妊薬を店頭販売する理由 FDA高官の辞任騒ぎを引き起こす原因となった「プランB」(註1)とは,基本的には高用量プロゲスチンであるが,無防備性交(unprotected sex)後の妊娠を防止する薬剤として,米国ではすでに99年7月に認可を受けていた。処方薬としてすでに認可済みの医薬品について,なぜ,改めて「処方箋なしの店頭販売」の認可申請がなされたかというと,プランBは,無防備性交後,その使用が早ければ早いほど,妊娠防止効果が高くなるからだった。 例えば,無防備性交後24時間以内にプランBを使用した場合の妊娠の確率は0.4%にしかすぎないが,性交後48-72時間と使用が遅れると,妊娠の確率は2.7%と跳ね上がる(プランBを使用しなかった場合の妊娠の確率は8%)。処方薬である限り,医師に処方箋を発行してもらうまでの時間がいたずらに空費され,有効性が著しく減じられることは避けられない。望まない妊娠や人工中絶の件数を最大限減らすためには,処方箋を要しない店頭販売としてアクセスを拡大する必要があると,03年に,店頭販売薬としての認可申請がなされたのだった。 専門家の決定を覆した「政治的圧力」 申請を受け,外部専門家で構成されたFDA助言委員会は,03年12月,23対4の大差で申請を認める決定を下した。FDA内部の担当部門も承認を部内決定したが,医薬評価研究部門の責任者,スティーブン・ギャルソンは,「プランBが容易に入手できるようになると若い女性の性行動が『乱れる』ことが懸念されるのに,16歳未満の女子に関するデータが乏しい」という理由で,04年5月,申請を却下してしまった。 FDA内外の専門家の「認めるべし」とする決定をFDA高官が「独断」で覆すのは極めて異例のことであったが,ギャルソンが異例の決定を下したのは,「政治的圧力」が理由だったと言われている。というのも,米国では,妊娠中絶・避妊を巡る国民の意見対立が深刻であるだけでなく,人工中絶に反対する宗教保守層が共和党(保守派)の最大支持基盤となっているために,妊娠中絶・避妊の問題は,ことある毎に政治問題化する傾向があるからである。特に,04年は11月に大統領選を控えていただけに,政権上層部は,FDAが宗教保守層の神経を逆なでするような決定を下すことを認めるわけにはいかなかったのだと言われている。 決定延期の決定も「決定」 こういった状況の下,プランBの製造企業は,「では,16歳未満には処方薬のままとして,16歳以上の女性に限って店頭販売を認めてほしい」と,FDAに妥協する形で再申請を行ったが,再申請に対するFDAの決定は遅れに遅れた(FDAの規定では,05年1月までに決定を下さなければいけないはずだった)。8月26日になって,FDA局長クロフォードが,「どうやって年齢制限を実施するか技術的に難しい。一般の意見を公募したい」と,決定を改めて「延期」したのだった(註2)。 クロフォード局長がこの時期に「決定延期」を発表したのは,ヒラリー・クリントン上院議員はじめ,認可推進派の政治家たちと「9月1日までにプランBの処置を決める」と約束していたからだが,「処置を決めると約束していたのに『決定延期』とは約束違反」とクリントン議員たちが怒ったのも無理はない(これに対してクロフォードは,「決定延期の決定も『決定』に変わりはない」と開き直っている)。 さらに,9月3日には連邦最高裁判所長官ウィリアム・レンキストが死亡,7月に引退を表明したサンドラ・デイ・オコーナー判事(中道派)に加えて,最高裁判事の空席は2つとなった。今後,中絶反対派の保守派判事が最高裁の多数を占めた場合,中絶を合法と認めた73年の「ロー対ウェード」判決が覆される可能性もあり,米国においては,中絶・避妊を巡る政治対立がますます先鋭化することが必至の情勢となっている。 「科学的データよりも政治的判断」に抗議 FDAにおける医薬品認可は「有効性と安全性」に関する科学的データを根拠として行われるのが原則であるし,これまで政治的判断が入り込む余地はなかった。しかし,プランBについては,店頭販売の認可が遅らされてきた理由が「政治」にあることはあまりにも明白だった。「FDAが科学的データよりも政治的判断を優先したことに抗議する」と,FDA副局長ウッドが抗議の辞任に踏み切ったのには,これだけの背景があったのである。 註1:一般名levonorgestrel。「事後」に使用される避妊薬との意味で「morning after pill」とも呼ばれる。ちなみに,「プランB」とは,規定のプランが失敗した後,失地を挽回するための「緊急作戦」を意味するイディオム。 註2:「年齢制限は技術的に難しい」とクロフォード局長は決定延期の理由を説明したが,ニコチン・ガムについては,19歳以上に限って店頭販売を認可した前例があったし,タバコやアルコールの販売の例を見ても,「年齢制限が技術的に難しい」とする主張の無理は明らかだった。 第2654号 2005年10月17日 〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 70回 ピル(医療と性と政治)(2) 反中絶テロ 李 啓充 医師/作家(在ボストン) 前回は,米国で,避妊や中絶に関連する論争が容易に政治問題化する事情を,緊急経口避妊薬「プランB」の店頭販売認可問題を例として説明した。プランBの店頭販売については,米国医師会も,米国産婦人科学会も承認すべしという立場だが,医師や医学者の科学的判断よりも,政治的判断が優先された結果,承認が遅らされているのである。 しかし,プランBの店頭販売承認を巡る論争が政治問題化,政府高官が辞任したからといって驚くには当たらない。米国における中絶容認派と反対派の対立は,日本からは想像もできないほど激しいものがあり,中絶に携わる医療者が,「反中絶テロ」の被害に遭うことも稀ではないからである。 中絶医とその施設がテロの標的に 「中絶は殺人」=「中絶手術を実施する医師は殺人者」というのが,反中絶テロリストの論理であるが,「胎児は,何の罪も犯していない無垢な存在」であるうえ,「中絶医を1人殺せば何万もの胎児を救うことができる」という「大義名分」のもと,中絶医や中絶を実施する医療施設をテロの標的として攻撃しているのである。 例えば,FDAがプランBの店頭販売承認についての決定延期を決めた4日前の8月22日,1996年のアトランタ五輪爆破テロ事件(1人が死亡,100人以上が負傷)の犯人,エリック・ルドルフ(38歳)に終身刑の判決が下されたが,ルドルフも典型的な「反中絶テロリスト」である。 ルドルフによると,アトランタ五輪爆破テロの動機は,中絶を容認している連邦政府を「懲らしめる」ためだったが,彼は,五輪での爆破事件後,ジョージア州(97年,50人以上が負傷),アラバマ州(98年,警官1人が死亡,看護師1人が重傷)で,中絶クリニックを直接のターゲットとして爆破テロを敢行しただけでなく,97年にはアトランタのゲイ・ナイトクラブも爆破(5人が負傷),同性愛者をもテロのターゲットとした。今回,死刑を免れ終身刑となったのは,爆薬の秘匿場所を捜査当局に明かす条件で司法取引を結んだからだと言われている。 また,医療施設を対象とした爆破テロだけでなく,中絶に携わる医療関係者個人を標的とする狙撃テロも多い。例えば,98年10月にニューヨーク州バファロー市で起きた「中絶医狙撃事件」は,被害者のバーネット・スレピアン医師(52歳)が,自宅で家族とくつろいでいた際に戸外から狙撃されるという凶悪な事件だっただけに,全米に衝撃を与えた。 スレピアンは,93年以降,反中絶テロで命を奪われた7人目の犠牲者となったが,当時,バファロー近辺の米加国境地帯では,同一犯によると見られる中絶医狙撃事件が4年連続で発生していた。 予想外の展開で反中絶テロは下火に 狙撃犯がどうやって中絶医の名や住所などの具体的な情報を知り得たかだが,実は,中絶医の個人情報は,反中絶団体のホームページで一般公開され,情報の入手は著しく容易だった。「中絶は人類に対する犯罪」とばかりに,件の反中絶団体のホームページには,第二次大戦の戦争犯罪人裁判にちなんで「ニュレンベルグ・ファイル」という名がつけられていたが,同サイトでは,中絶医をテロの標的とすることを奨励するかのように,各医師の顔写真に加えて,住所・車のナンバー・家族の氏名などの情報を公開していたのである。スレピアンが射殺された直後,同サイトのスレピアンの顔写真には,「処刑済み」とでもいうかのように罰印が上書きされた(註)。 同サイトが,テロを奨励するかのように顔写真や個人情報を公開している行為は,中絶に携わる医療者に対する「実質的脅迫」と,NPO「家族計画連盟(Planned Parenthood)」や中絶に携わる医療者たちが原告となって,95年,同サイト主宰者に対し,損害賠償を求める訴えが起こされた。99年2月,ポートランド連邦裁判所は原告側の訴えを認め,反中絶団体側に1億700万ドルの賠償金を支払えと命令したが,01年3月,連邦控訴審は,「同サイトの内容は言論の自由で保障された範囲内で脅迫には当たらない」と,逆転判決を下したのだった。 同訴訟の逆転判決によって,反中絶テロが一層高まることが懸念されたが,まったく予想外の展開によって,反中絶テロは下火となった。01年9月11日,アルカイダによる同時多発テロが発生,「テロリズムは許せない」とする認識が米社会に定着,反中絶テロに対する支持も激減したからだった。「中絶医を殺せば,何の罪も犯していない胎児を何万人も救うことができる」という「大義名分」が,実は,「大義」でも「名分」でもないことが明瞭に認識されたのだった。 (この項つづく) 註:スレピアン狙撃犯のジェイムズ・チャールズ・コップは,01年3月,潜伏先のフランスで逮捕された。裁判では「胎児の命を守るため」と殺人の正当性を主張したが,03年3月,第2級殺人で有罪判決を受けた。海外逃亡の手配など,反中絶団体の組織的関わりが疑われたが,コップは,一貫して「単独犯」との立場を貫いた。 このページへのお問い合わせ/ご意見は shinbun@igaku-shoin.co.jp までお寄せください。
by alfayoko2005
| 2005-10-18 10:17
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