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オマーンにみる湾岸の民主化 (東京 2005/11/28)
イラク戦争後、中東に民主化を迫る米国の圧力に、各国が対応に苦慮している。議会や女性参政権などを漸進的に導入し、米国の矛先をかわそうとするが、君主制や首長制をとる国では実際の運用は限定的にならざるを得ない。そんな中、アラビア半島東南端のオマーンでは比較的早くから民主化を進めてきた。人口は名古屋市とほぼ同じ二百三十万人というこの小国を通し、湾岸の民主化の現状を見た。 (マスカットで、浅井正智、写真も) 十八日午後、マスカット郊外のスタジアムを埋め尽くした観客は、カブース国王の到着を今か今かと待ち構えていた。この日は国王の即位三十五周年を祝う式典が挙行された。万雷の拍手に迎えられた国王は正面スタンドの玉座につく。 「三十五年前、国王の即位をきっかけに、わが国のルネサンスが始まり、繁栄と安定がもたらされた」 アナウンスの声が国王の実績をたたえる。翌日の地元紙は「国王はわが国の伝統と近代化の必要性をうまくミックスさせ、国を正しい方向に導いてきた」(オマーン・トリビューン紙)と報じた。 一九七〇年に即位したカブース国王はそれまでの事実上の鎖国政策を転換し、近代化路線を採用した。幸運だったのは六〇年代後半から石油の輸出が始まったことだった。目ぼしい産業もない砂漠の国に劇的な変化が訪れた。最大の原油輸出先は長らく日本で、最近になって中国が上回っている。 経済的に潤うのと並行し、九〇年代以降は政治体制の漸進的な民主化にも力を入れていく。 ■議会は二院制 03年に普通選挙 オマーンは選挙で選ばれる諮問議会と国王が指名する国家評議会の二院制をとる。二〇〇三年十月の諮問議会選では二十一歳以上の全国民に参政権が認められ、普通選挙が実現した。九六年には憲法に当たる国家基本法が制定された。 オマーンのもう一つの“売り”は女性の社会進出だ。イスラム教の国だが女性が顔を隠す習慣はなく、サウジアラビアのように身内の男性に同伴されなければ外出できないという戒律もない。車の運転もできる。湾岸で閣僚級ポストに女性が初めて就いたのもオマーンだ。現在、閣僚級ポストには四人、両議会に計十人の女性議員がいる。 「官庁や実業界など社会の全分野に女性が進出している状況は、オマーンの女性が社会で責任ある立場にあることを示している」と国家評議会のラヒマ・カシミ議員(女性)は誇らしげに話す。官庁の就業者の31%、民間の18%が女性によって占められている。 一見、進んだ民主国家のように見えるが、外見と内実の間には落差がある。 国王は首相、外相、財務相、国防相を独占する絶対権力者だ。両議会とも政府に勧告を行う権限はあるが立法権はない。政党の結成も禁止されている。 諮問議会のラヒラ・リヤミ議員(女性)は「大切なのはいかに国を発展させるかということ。諮問議会は国民の声を吸い上げ、政策に反映させる機能を十分果たしている」とし、国王の絶対権力下でも民主主義は機能していると説明する。同議員は、国王が毎年地方を巡幸し、国民から意見を聞く「ミート・ザ・ピープル」を実施している例を挙げ、「わが国は直接民主主義への途上にある。現在のオマーンに政党は必要ない」とまで言い切る。 湾岸諸国の民主化が問題になったのは九一年の湾岸戦争だ。〇三年のイラク戦争はそれに拍車をかけた。ブッシュ米政権は戦争を正当化するためにも「民主的なイラク」の創出をテコに、民主化を中東全体に拡大することを狙う。 湾岸戦争後の九二年、クウェートでは八六年以来解散されたままの議会が再開され、サウジでも九三年に国王が任命する諮問評議会が設置された。さらに〇二年にはバーレーンで立法権のある議会が開設され、カタールでも〇三年、民選議会の設置が決まっている。 しかし君主制か首長制を敷く湾岸諸国の民主化にはさまざまな制限が付けられている現実がある。アラブ首長国連邦には政府に意見具申する連邦評議会はあるものの国民に選挙権はなく、サウジでは今年二月に初の地方選挙が実施されたが、女性の参政権は認められなかった。政党はオマーンだけでなく、湾岸すべての国で禁止されている。湾岸の民主主義がときに「コスメティック・デモクラシー」(化粧した民主主義)と評されるゆえんだ。 「わが国の民主化は純粋にオマーンの産物であり、外からもたらされたものではない」とハマド・ラシュディ情報相は強調する。しかし諮問議会が湾岸戦争の九カ月後に創設され、初の普通選挙もイラク戦争の大規模戦闘終結宣言の五カ月後に行われたことを思えば外的要因の影響は否定できない。「オマーンは政情不安を抱える他の湾岸諸国からの影響を食い止め、効率的な統治のために民主化を進める必要に迫られた」と中東外交筋は指摘する。 ■部族中心の社会 選挙の障害に 統治のために上から与えられた民主主義-。それを国民はどう見ているのか。マスカット市内で商店を営む男性(48)は「政治に関心なんてない。かつて石油が出なかったころは、商才のある人は外国に活躍の場を求めるしかなかった。今では国内でも食べていけるようになり、所得も少しずつだが増えている。この状況が続いているうちは、だれも文句を言わずに従うんじゃないかな」と言う。 「中東では部族が秩序の要をなす。オマーンでは国から部族長に補助金が出ており、それが部族のメンバーに行き渡る仕組みがある。選挙になればこれは容易に買収システムに転化し得る」(中東外交筋)ことも政治的無関心を助長する。普通選挙が実現した〇三年の諮問議会選で、政府は投票率すら公表していないが、関係者によると事前登録した有権者の約60%、有権者全体で換算すると20%程度だったという。オマーン政府が「歴史的な日」と自賛した選挙の実態からは、「民衆不在の民主主義」という一面も垣間見える。 オマーンではイスラム過激派の活動は表面化していないが、「オマーンが安定しているのは湾岸で最も活発といわれる秘密警察の暗躍があるからだ」(湾岸情勢に詳しい消息筋)との指摘もある。 今月十二日、バーレーンで、主要八カ国(G8)と中東二十二カ国が一堂に会し、中東の民主化を促進するための閣僚会合が開かれた。しかしエジプトが、民主化推進に果たす非政府組織(NGO)の活動に関し、合法的に登録された団体に限定すべきだと強く主張し米国と対立。サウジやオマーンも当初エジプト案に同調したことから紛糾し、最終宣言案を採択できないまま閉幕した。中東民主化で主導権を握りたいブッシュ政権の思惑は今、厚い壁に突き当たっている。 オマーンを代表する知識人で、カブース国王の顧問を務めるムハンマド・ズベイル氏は声を張り上げて主張する。その言葉は湾岸の民主化が米国の思惑通りには進まないことを示唆しているように思えた。 「オマーンの政治制度は、長幼の序を大切にするという国民性の伝統の上に成り立っている。三十-四十年先がどうなるかは分からないが、最優先事項は国家の安定だ。変化は一歩ずつしか進まない。まして西洋のカーボンコピーになどなる必要はない」
by alfayoko2005
| 2005-11-28 07:51
| ジェンダー・セックス
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