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雑誌「婦人公論」のインタビュー記事内容2005年12月06日
カルチャーセレクション -「People」- 今年7月、カナダで同性婚法が成立しました。国家単位では、オランダ、ベルギーに継いで4番目となりますが、国籍や永住権の有無など、婚姻に際してほとんど条件を課さないオープンな法律である点が、モザイク国家カナダならではだと思います。6月末に同法案が下院を通過した際、ポール・マーティン首相はこう言いました。「カナダという国は少数派(マイノリティ)の集まりであり、このような国においては、決して人権を選り好みしてはならない」。 つまり、人種であれ性別であれ宗教であれ、主流派や多数派にその他が従うのでなく、どんな少数派にも、その権利を認めるのがカナダという国家の姿勢である。一国の首相が、そう発言したのです。この問題を取材してきた立場からだけでなく、カナダに暮らすアジア人という少数派のひとりとしても感動しました。 私が同性愛者の人権について関心を抱き始めたのは、1994年。勤めていた日本経済新聞社のトロント支局が閉鎖され、フリー・ジャーナリストとなって初めて書いたのが、オンタリオ州の同性カップルの法的保護に関する記事だったことに始まります。 それまで自分にとってまったく未知の領域だったこの問題に触れることで、人権について、別の角度から深く考えるきっかけを与えられたんです。 カナダは多民族国家ですから、基本的に誰もが「隣の人と自分は違う」という認識のもとに生活しています。日常会話でも、人種や宗教について軽々に口走ることは、慎むのが常識。同性愛についても同様なのですが、人種や宗教と違い、セクシュアリティの問題は、セックスがからむせいで、難しい面があります。 同性婚についても、賛成派はあくまで「人権」の問題としてとらえますが、反対派は、「モラル」を持ち出します。同性愛を受け付けられず、「いやなものはいや」という次元の反対になってしまうんですね。 それでも、次第に州ごとの法制化が進み、取材開始から約10年後の昨年暮れ、連邦最高裁が同性婚の立法化容認の決定を下したところで区切りをつけ『カナダのセクシュアル・マイノリティたち』を上梓しました。 これで同性愛者のカップルがこぞって婚姻届けを出すかというと、そうではないのが現実です。出したい人は出すし、必要ないと思う人たちは出さない。それは異性愛のカップルと、まったく同じです。 同性愛者の人口に占める割合は5~10パーセントといわれますが、だとすると、この法律は9割以上の国民には関係ないうえ、当事者の中にも、法律の恩恵を受けようとしない人がいる。 なのに、なぜこんなに長い時間をかけて彼らは権利を勝ち獲り、国もまたそれを認めるのでしょう。それは、どちらを選ぶかを選択する権利を得られることで初めて、異性愛者と平等となるから。少数派の権利を認めるというのは、そういうことなんですね。 国の存亡にかかわるわけでもない、こうした問題についてここまで議論し、結論を出すことができるのは、成熟したおとなの国である証でしょう。さまざまな問題が山積している国ではありますが、こと「人権」に関しては、カナダは最先端をいっている国だと思います。 翻って、日本はどうでしょうか。今回、全国各地で講演などをさせていただいて知ったのは、「私のまわりには同性愛者はひとりもいない」と断言する人の、圧倒的な多さです。「人権」「差別」という以前に、同性愛は自分とは無縁の世界の話だという認識。一方で、テレビでは多くのゲイのタレントやアーティストが人気者として受け入れられ、ゲイ・カルチャーの担い手と、それを支えるファンが厳然と存在している事実があります。 こういう現象は北米ではほとんどないことなので、「日本て、おもしろいなあ」と素直に思いました。 正直、ちょっと肩すかしをくった感がないでもありませんが、べつに日本がカナダと同じやり方で突き進むことはない。日本には、日本ならではのやり方があるのかもしれません。突然、何かをきっかけに状況が激変する。日本という国は、そんな可能性を秘めている気もするんですね。 2005年盛夏・日本講演旅行記 Ⅱ 上野千鶴子東大教授のゼミナールでの講演 パートⅠでも記したように、今夏日本での講演は、併せて10ヶ所以上あったが、東京での最初の講演は、社会学の権威、知る人ぞ知る上野千鶴子教授が率いる東京大学のジェンダー・コロキアムと呼ばれるゼミでのものだった。 「書評セッション」と題して、東京大学大学院人文社会系研究科社会学博士課程で学ぶM氏によって拙著がまな板の鯉になり、実に的確にそして鋭く切りきざまれて行った。 M氏の書評は、知的な深い洞察力と、幅広いジェンダー学の知識に裏付けされた見地から拙著をしっかりと読み込んで書かれたことが理解でき、小気味よいほど理路整然とまとめられていた。 全体の評価は「~6月30日にはスペインの下院議会で同性婚法案が再可決され正式に立法化を迎えるなど、諸社会の情勢を見ても、また日本においてそれら同性婚をめぐるニュースが耳目を集めることを考えても、まことに本書は同時代的なルポルタージュと言える。 転じて日本のマスメデイアによる報道を考えれば、国内のみならず海外のゲイやレズビアンをめぐる情勢は報道の対象外とされるか、あるいは同性婚に関する場合でも、可決・否決等の結果だけを表面的に報じる傾向が強い。 そのような状況下では特に、本書のように立法府の外にも目を向けて、関連する当事者たちの運動やサポート活動を多岐にわたって幅広く紹介しようとする筆者の姿勢は、批判的で野心的な意義を持つものとして評価したい~」というもので、これはやはり嬉しかった。 一方幾つかの問題提起もあったが、特にM氏の「~私は本書においてもう少し筆者の意見が書き込まれてもいいのではないかと思った~」や「~ご自身の意見や思いが具体的に書き込まれることで、なぜ筆者が事態を『人権』の問題として捉えようとしたかが読者にとって理解しやすくなるだろうし、『人権』を啓蒙するもの/啓蒙されるものという非対称性を超えて、読者は本書にアプローチしやすくなるのではないか、と考える」というコメントには、個人的な意見や思い入れを出来るだけ排除し中立の立場を取ることに腐心したが、こうした違った角度からの見方に「なるほど」と思ったものだ。 パネリストとしては、私以外に、現在長崎シーボルト大学で教鞭を取り、また2年前に長年のパートナーとBC州で結婚たケン・リチャード教授も招かれて出席した。 ゼミが佳境に入るに従って「異性婚/同性婚に限らず結婚そのものに対する是非論」に発展し、上野教授の「結婚に何の意味が見出せるか」で大きな展開を見たのもまた興味深かかった。 このゼミには、私のHPを見て関西から駆けつけてくれた人もいたりして東大の学生を含む30余人が集まった。 外国住まいとなれば、日本の最高峰の象牙の塔の知的集団の人々と接する経験はそうあるものではなく、ぞくぞくするようなこの体験は有意義と言う言葉以外になかった。 訪日中に同性婚法案が成立 何度も記すように、拙著上梓までの足取りは想像以上に長かったにもかかわらず、カナダで7月に同性婚法案が連邦を通過したのは訪日中で、私はその瞬間を体現できなかった。 しかし後日友人たちが保管してくれていた新聞の切抜きを見ると、各社ともそれほど大きな報道ではなかったことに少々驚いた。これでふと思い出したのは、オランダが2002年に同様の法案を通過させた時のことだった。 長い公民権運動の最終結末を迎えたとき、「世界初」ということで、外国のメディアはこぞって取材合戦をしたが、当のオランダではそれほど盛り上がらなかったという。それはそこに至るまでの過程ですでに何度も大きなニュースになり、その当然の結末としての法案成立であったからといわれている。 カナダの場合まず下院で法案通過にGOが出されたとき、マーティン首相は「我々の国家は少数派の寄り集まりで成り立っており、このような国においては、人権のえり好みをしないことが重要である。権利は権利で同性婚問題もまったく同じである」とコメントした。インターネットでこれを読んだ時、私は多くの移民の集まりで成立している国の指導者に真に相応しい言葉ではないかと、思わずこみ上げるものがあるほど感動した。 愛知万博での講演 これと前後して、名古屋で開催されていた愛・地球博のカナダ館での講演が本決まりになり、私は迷わずに講演のテーマを「カナダの人権のあり方」に決めた。 当日はマイヤー館長に温かく迎えられ、日本からの移住者としてただ一人カナダ館で講演できたことをとても誇りに思ったものだ。来場者の中には東南アジアからの方々もいて、拙著に深い関心を寄せてくれたことは嬉しかった。 この他にも東京の明治学院大学、大阪の『血縁と婚姻を越えた関係に関する政策提言研究会』(略称:政策研)の集まりなど、大小さまざまなグループと膝を交えて話せたことは、とても貴重で楽しい経験であった。 認知のために行動を トロント恒例のゲイパレードには100余万人の観光客が集まり、市を挙げての観光の目玉となっているが、東京の代々木公園でのゲイパレードは、当然ながら規模も運営体制もトロントとは雲泥の差。公園での集会の後に行進のため渋谷近辺に繰り出したが、交通規制がないため普通車・バス・タクシーなどの間をぬってゲイのフロートが走る様は実に奇妙で、単に好奇な目に晒されるだけのお祭に過ぎない。 だがそれでも外国人を含む多くのゲイの人たちは、仲間との集いを楽しみ、続いて有志によるシンポジュームなども催された。自分たちの存在の確かさを確認し、集うことで力を結集するのは洋の東西を問わないもので、カナダもオランダも小さな集まりがやがて大きなうねりの波になり、国の法律を変えるまでの運動を展開したのである。 著名人へのアプローチ ゲイムーブメントのみならず、何事も世相を変えるには現状を嘆くより、一歩でも行動し風穴を開ける事が大事と思われる。だがそれには多大のエネルギーと、たゆまぬ努力が必要で長い道のりである場合が多い。 訪日中の8月半ばに、尾辻かな子大阪府議会議員が「カミングアウト」と題する本を出版してレズビアンであることを公表した。公人の立場でこのような行動を起こしたのは彼女が初めてだったようで、その勇気に大きな拍手を送る人は多かった。 無知から来る差別を少しでも軽減するには、多くの人に知ってもらうことはとてつもなく大事なこと。そういう意味で私も、自腹を切って本当に多くの人に拙著を送った。 国を動かす立場の人には、メリル・リンチ本社上席副社長の地位を捨てて出雲市長から国会議員になった岩国哲人氏に会見を申し込み、衆議院議員会館に出向いた。 またオープンな土地柄か札幌でのゲイパレードにはメッセージを送るという高橋はるみ北海道知事、上田文雄札幌市長には手紙と共に送付。加えて芸能界では、美輪明宏、假屋崎省吾、かばちゃんなる人々にも、直接オフィスを訪ねたり、手紙を添えて郵送した。 「人権を獲得するとはどういうことか」。 何度も何度も書くように私の本はゲイムーブメントの報告ではない。少しでも多くの人に「人権」を理解してもらうことが私の目的である。 「印税で左団扇」とは程遠い持ち出も持ち出しのこうした努力は、やはり風穴を開けることが大事と思うからに他ならないのである。
by alfayoko2005
| 2005-12-06 07:37
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