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[論壇2005]12月 脳の「性差」は生来のもの (読売 2005/12/21夕刊)
◆「社会が作り出す」に反論 主体的に選べる生き方 今年1年、論壇における大きなテーマとなってきたのが女性・女系天皇の是非をめぐる問題だった。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は先月下旬、女性天皇と、その子や孫である女系天皇の即位を容認する報告書をまとめ、この問題は一つの山場を越えた。その後に行われた読売新聞社の世論調査では、女性天皇「賛成」が73%、女系天皇を「認める」も60%を記録。国民の多くは女性・女系天皇を肯定した。 だが、保守派の間にはこうした世論に反発する声が上がっている。そこで少なからぬ論者が用いているロジックがあった。 例えば、埼玉大教授の長谷川三千子氏は語る。「男女平等とか人権というような、皇室の歴史に比すればほんのここ数十年間の“偏見”でしかないものをもって皇位継承を論じようとしている」(座談会「『天皇制度』崩壊の秋」=『諸君!』)。 「皇室について論ずる時、一般人と同じ男女平等論や人権を当て嵌(は)めることは相応(ふさわ)しくないのだ」と主張するのは明治大教授の福田逸(はやる)氏(「女系容認・長子優先は皇統断絶への一里塚?」=同)。ノンフィクション作家の工藤美代子氏は、「男女平等の世の中なのだから、女性が天皇になっても良いではないかという声が多い」としつつ、それは伝統や常識を無視した軽率な考えだとした(「『女性天皇』愛子様の苦難」=『文芸春秋』)。 ここでキーワードとなっているのは「男女平等」である。確かに今日の我々は、男女平等の近代的な原理の下で生きている。だがその原理は、皇位の男系継承といった歴史的に確立された制度を覆してしまうほどオールマイティーなものか……。彼らの発言はそのような問題提起として受け取れる。 こうした文脈からは、近年論壇でもしばしば是非が論じられるジェンダー論がきわめて今日的なテーマであることも浮かび上がってくる。男女の差や役割分担といった決まり事の多くは自然なものではなく、社会から人為的に押しつけられたジェンダー(社会的性差)だとするフェミニストたちの議論は、どこまで正当なのか。 その点で興味深かったのは、『大航海』57号の特集「女と男への新視点」だった。ここで複数の論者が展開したのは「女らしさ」には生物学的な根拠がある、といった議論だった。 例えば神経解剖学者の新井康允(やすまさ)氏は、「男らしさ、女らしさの形成に生後の社会的な影響が非常に重要であることは言うまでもない」と前置きしながらも、「男の子は動く玩具や積み木で遊ぶのを好み、女の子は人形やままごと遊びを好む」のは胎生期のホルモンの影響として理解できると分析。このような脳の性差は出生以前に決まっているものが多い、と論じた(「ヒトの性差」)。 進化生物学者の長谷川眞理子氏も、田中冨久子氏との対談「生物の性差、ヒトの性差」で、生物学的な意味で脳に性差があるのは明らかだとして、「性差はすべて社会が作り出したものだから、消そうと思えば消せる」といった考え方を否定。女性には「母性」が確かにあり、それが育児にあたっては重要になってくるという立場から、「女は産む性だと言ってくれるなとか、三歳まではお母さんは絶対子どものそばにいるべきだというのは『三歳児神話』だとか言う」ようなジェンダー論を批判する。 だが長谷川氏は、返す刀で保守派の論も批判する。すなわち、男女に生まれながらの違いがあると認めることと、それを宿命として受け入れることは違う。「『~である』という言明から『だから~であるべきである』という言明は出てこない」。つまり「女は子供を産むようにできていますが、だから女は子供を産むべきだ、にはならない」。 言い換えれば、男女それぞれに生物学的に覆せない性向があるにせよ、人間には主体的にそれと違う生き方を選び取ることもできる、といった主張だろう。確かに「動物としての人間」と「主体的な判断のもとに行動する人間」という二面性を認め、そのバランスをとるところから今後のジェンダー論はより豊かな実りをみせていくように思われるのである。 むろん動物としての生理に従いつつ、主体的に自己実現を目指す――例えば女性が子どもを育てながら、社会に出て働くことを両立させるのは現実にはなお厳しい。藤原正彦氏との対談「秀才殺しの教育はもうやめよ」(『中央公論』)でジャーナリストの櫻井よしこ氏は、朝食を一人で食べている小学生が全体の2―4割にものぼるというデータを挙げた上で、暗に働くことを優先させる女性のあり方に疑問を呈する。 「私も男女平等論者ではありますが、何を優先するかですよね。子どもというのは親にとって一番大切な存在だと思いますから」 一つだけ確実に言えることがある。こうした事態を変えることができるのは、個々の女性の超人的な努力などではなく、何らかの社会的な施策なのだ。(時田英之) ◇注目の論考 ◎細谷雄一「小泉首相は外交哲学を語れ」=論座 ◎白石隆「東アジア共同体の構築は可能か」=中央公論 ◎渡辺昭夫「国際社会における日本の責務」=外交フォーラム ◎伊奈久喜、田所昌幸、西原正「位負けをしない外交を 2006年に直面する外交課題」=外交フォーラム ◎立花隆、福田和也「天皇と東大 『この国のかたち』を問う」=文芸春秋 写真=長谷川眞理子氏 写真=櫻井よしこ氏 ♪ 「保守派」は、どうしてこんな見え透いたウソばかりつくのだろうか? いくら天皇制が「伝統」と言っても、天皇を絶対君主においた明治憲法の施行期間はわずか50余年にすぎない。しかも、天皇を「象徴」とした日本国憲法の方が施行期間が長くなった。 また、男女の生来的な性差があるとしても、女性が男性より育児に向いている、あるいは男性が育児できないということは誰も論証していない。単に、男性の育児負担を免除し、それを女性に一手に押し付けている身勝手な考え方とみなされても文句はいえないだろう。
by alfayoko2005
| 2006-01-03 00:40
| ジェンダー・セックス
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