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エチオピア・女性性器切除廃絶運動の現場から (東京 2006/03/05朝刊)
アフリカを中心に現在も年間約200万人の少女たちが命懸けの儀式におびえている。女性性器切除(FGC)の慣習だ。1990年代に世界的な非難が高まったが、廃絶への道は険しい。先月、国連人口基金(UNFPA)の有森裕子親善大使に同行し、廃絶運動の現場を見た。援助のアメと警察力のムチを駆使していたが「因習」の壁は厚い。 (エチオピア・南部諸民族州で、田原拓治、写真も) ■南部諸民族州 電気通らぬ村 その男は大切そうに編み込みの袋から、少しさび付いた刃渡り十五センチほどのナイフを三本取り出した。 「これを使ったんだ。作業はそう、二、三分だ。男児の割礼もやった。とにかく、たくさんしたよ。年間数百人かな。一晩に七、八人はやったからね」 エチオピア・南部諸民族州、ドラミ市近郊のアチャビラ村。ぼろぼろのジャンパーにはだしの小柄な男が丁寧に迎え入れてくれた。イーフォー・ブクロ氏。村の元切除師だ。自称六十歳でこの国では老人になる。 「ゴジュ」と呼ばれる家畜の柵と炊事場、居間が一つの家に十数人の家族と住む。壁は竹、屋根はわら葺(ぶ)きだ。すべて土間で、炊事場は女性、居間は男性の空間と分かれている。電気は通っていない。 FGCはエチオピアの公用語、アムハラ語で「グルザー」と呼ぶ。二十歳のころ、兄から技術を伝授されて、切除師になった。といっても、農業と兼業だ。 切除の季節は収穫期の十二月から一月。十二歳から十五歳の対象の少女を抱える家は当日の夜、宴会を催す。ブクロ氏の仕事は午後九時から深夜にかけて。招かれた家に赴き、宴会の途中、屋外に少女を呼んで足をくいで固定する。男性の親族数人に体を押さえつけさせ、目や口を手で覆う。 もちろん、麻酔など使わない。切除の傷口には止血のために灯油を塗るだけ。「私は腕がいいから、相手が痛がらない。死亡事故もなかった。宴会に残れと言われても、すぐ次の家へ。忙しかった」。ブクロ氏はちょっと胸を張った。 エチオピアでは宗教に関係なく、73%の女性がFGCを受けている。特に南部では九割以上に上る。方法は苛烈(かれつ)で、性器に傷を刻むだけでなく、外性器すべてを切り取ってしまう。 ■一昨年に罰則できたばかり 「女性の汚い部分を取り除く」という通過儀礼の意味があり、結婚の条件とされる。ちなみに農村部では処女性を汚される前に、と早婚で、約三分の一が十五歳以下で結婚する。女性性器切除は憲法で禁じられてきたが、罰則規定が設けられたのは一昨年のことだ。 ただ、エチオピアでも数年前から、女性を肉体的、精神的に悩ませてきたこの慣習に公然と「ノー」を突きつける運動が始まった。ドラミ市出身のボーガテチ・ゲブレ氏(50)率いる「ケンバッタ地区女性自立センター」の活動がそれだ。 通称「ボーゲ」と呼ばれる彼女自身、FGCの経験者だ。高校卒業後、イスラエル、米国で教育を受け、九〇年にニューヨーク市民マラソンで「反FGC」をアピール。九七年に帰国し同センターを設立した。 「目覚めた女性」を自任する彼女はボランティアを集め、FGCのビデオを作り、周辺の村に持ち込んで上映会運動を展開。村人との対話集会では、キリスト教徒として「神は人間を不完全な肉体としてつくらなかった」と説いて回った。 ■「勇気ある結婚」各国が援助約束 二〇〇二年、FGCを拒んだ女性と婚約者の男性をかくまって「勇気ある結婚」を演出した。〇四年、ドラミ市のサッカー場で反FGCの十万人集会を開いた。彼女の訴えに国連やロックフェラー財団など欧米の団体、欧州連合(EU)、各国大使館は援助を約束した。 ボーゲ氏には、外国人から称賛が送られた。活動の結果、二万五千人の少女がFGCを拒んだという。だが、彼女のやり方をつぶさにみると、それが「劇薬」と分かる。そこには民衆内部からの変革への絶望が横たわる。冷徹にアメとムチを使い分ける計算がある。 「勇気ある結婚」の主役、アディセ・アボセ氏(22)とガンナット・ゲルマさん(20)夫妻を訪ねた。傍らには長女のウィーマちゃん(3つ)が甘えていた。FGCを拒んだ女性との公然たる結婚に踏み切った英雄、アボセ氏は「母がFGCのために出産に苦しんでいた」と再三、理由を説明した。 実はゲルマさんがセンターに駆け込んだとき、彼女は妊娠していた。それがFGC拒否の理由だったが、経緯は隠された。政治集会のような結婚式が催された後、身重のゲルマさんらはボーゲ氏に率いられ、援助集めの米国旅行に出た。 無職のアボセ氏夫妻はいまもセンターから補助を受ける。ボランティアも有償だ。「アメ」がセンターと支援者をつないでいる。 一方、センターは切除師らに廃業の条件として、この地域では財産に当たる牛を与えている。一頭安くても二千五百ブル(約三万五千円)はする。一人当たりの国民総所得の半年分だ。 こうした財源はすべて外国援助だ。それを集めるため、センターに訪問団を招く。国連の一行を前に、別の元切除師はセンター職員らが見守る中、ボーゲ氏の質問に「いまは後悔している」と小声で答えた。さながら、人民裁判だった。 ■民衆意識改革 政治では無理 この国では、事件に匹敵するボーゲ氏の十万人集会は報じられなかった。「私たちは野党扱い。政府は女性解放に理解がない」とボーゲ氏は憤るが、与党の本拠、北部アクスムでは与党系の女性協会が親の決める強制婚廃止に懸命だった。 むしろ、国内政治を通じた民衆の意識変革という回り道に背を向けたのはボーゲ氏だった。結果が、欧米論理に基づいた欧米のカネによる変革だった。とはいえ、それもやむを得ぬ選択だったのかもしれない。 この国では一九七四年の軍による王制打倒後、九一年まで社会主義政権が続いた。「そのころはいくつもの女性解放のスローガンが並んで、数多くの委員会が草の根単位でできた。でも何一つ変わらなかった」(UNFPAの現地職員) 因習は重い。アフリカ一ともいわれる夫から妻への暴力、ヤミ中絶の横行、誘拐しての結婚など、この国での女性への抑圧はあまりに厳しい。その中で、ボーゲ氏はイスラム団体の「聖戦宣言」にも耐え続ける。 しかし、壁は厚い。前出のブクロ氏は昨年三月、切除師を廃業した。センターの通報で警察に逮捕され、四十五日間服役したからだった。彼はFGC一回につき、五ブルの報酬を受けていたと話した。非合法化により、相場はいま三十ブルに急騰しているという。 ブクロ氏は草をナイフで切って切除の技法を披露した後、無邪気にこう自慢した。「皆、感謝していた。私は尊敬されていた」。傍らで、かつて性器切除を受けた実娘がうなずいた。 <メモ>エチオピア アフリカ最貧国の一つ。80以上の異民族で構成され、人口7700万人のうち、15歳未満が半数を占める。農村人口が84%と圧倒的。社会主義政権が91年の内戦で崩壊し、現在は親米政権。宗教的には、キリスト教(エチオピア正教)とイスラム教に二分される。平均寿命は48歳。成人識字率は男性49%、女性34%と低い。 女性性器切除 起源は明らかでなく、紀元前にエジプトから広がったという説がある。国連によると、手法にはほぼ4種あり、アフリカだけで1億3000万人の女性が受けている。激痛や出血性のショック、感染症で死亡したり、エイズウイルスの感染、失禁、貧血、性交時の激痛など、深刻な後遺症に悩まされるケースが多い。「割礼」という見方や宗教的背景は否定されつつある。一般に結婚の条件とされ、これが廃絶への最大の壁になっている。
by alfayoko2005
| 2006-03-05 08:24
| ジェンダー・セックス
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