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異端の肖像2006 <番外編>
有森裕子という生き方 (東京 2006/03/19) トリノ五輪開催中の2月下旬、マラソンランナー有森裕子さんはエチオピアにいた。国連人口基金(UNFPA)の親善大使として村を回っていた。「特別なことはしていない」と話すが、彼女の歩みはやはり並ではない。日本の女子陸上でただ一人、五輪2大会連続のメダル。日本初のプロ宣言。いつも未踏の地を孤独に走ってきた。ラストランが近づく。何が彼女の背中を押してきたのか。 (田原拓治) エチオピアの首都、アディスアベバ。到着の当日、有森さんは一つの墓に参った。アベベ・ビキラ。ローマ(一九六〇年)、東京(六四年)両五輪での男子マラソンの金メダリストだ。 「彼の勇気とか、生きる力をもらって、頑張れてこれた気がしていたから」 UNFPAは人口問題のみならず、根底にある女性の人権やHIV(エイズウイルス)予防の啓発に取り組んでいる。その親善大使になったのが二〇〇二年。アジアやアフリカを訪ね、今回が六カ国目の訪問だ。 ただ、社会活動との出会いはそれより早い。銅メダルを獲得したアトランタ五輪直後の九六年、地雷廃止を訴えるアンコールワット(カンボジア)国際ハーフマラソンへ招かれたことがきっかけになった。 ■解説者や指導者誘いはあったが 選手としての卓越した実績。その実績は解説者や指導者として、世を渡っていくのに十二分だった。そんな誘いは山ほどあった。 「でも、私はスポーツの専門性より、人間を追求する方が好き。それに思いをすぐ口に出しちゃうから解説者は失格」。苦笑した。 親善大使は広告塔だ。それでいいという。走るという特技がある。それが弱い立場の人々に役立つなら、引き受けるべきだ。それは人として、何も特別なことではないと彼女は語る。 「いまの活動でも、女性問題を特段取り上げているつもりはない。貧困や差別は人間の問題。私自身、女だから走ってきたわけじゃない。それと同じです」 昨年は全国各地で約八十回、講演した。だから、自宅のある米国で過ごした時間は四分の一だけだった。 幸か不幸か、この人は日本社会では生きにくいだろう。長いものに巻かれ、個人より組織を優先するのが「美徳」とされる、この国にはきっと似合わない。 実際、ムラ社会とぶつかってきた。高校、大学、社会人といずれも陸上チームに入る際、指導者に懇願し続けた。最初はいつも断られた。目立った記録がなかった。「おかげさまで五輪でも上がらない。プレッシャーを感じられるだけで恵まれていると思えるから」 日本の女子マラソンはいま、絶好調だ。最近の五輪では、二大会連続で金メダル。成功の秘訣(ひけつ)は練習環境のすばらしさ、とりわけ海外合宿の成果といわれる。 その先駆けは有森さんだった。バルセロナ五輪の前夜、実業団チームの一員だったが、米ボルダーでの合宿を希望した。一人で集中し、海外のトップランナーの力を肌で感じたかった。だが、「チームワークを乱す」と当初は非難された。 私生活でもそうだ。「同性愛者だった」という夫の告白を世間は揶揄(やゆ)した。でも、結婚前から彼女は知っていた。余計なお世話に違いない。メディアに対して逃げず、向き合った。 そんな「決してヘタれない」彼女が、スポーツ界を揺さぶったのは「プロ宣言」だった。九六年、アトランタ五輪直後のことだ。 「あの円谷さんの悲劇を繰り返したくなかった」。彼女はそう振り返る。その円谷幸吉氏は東京五輪の男子マラソンで銅メダルに輝きながらも、四年後、「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残し、自殺した。 「バルセロナでメダルを取ってうれしかった。これから、自分自身が輝けると思った。ところが、結果は騒がれて、忙しくなっただけ。何か話せば『天狗(てんぐ)になっている』と叩(たた)かれた。組織に引き回され、自分がどんどん摩滅していく。自分が悪いのか、システムが悪いのか、すごく悩んだ」 故障もした。走りたくないから痛いのか、痛いから走りたくないのか、分からなくなった。両足のかかとの手術。その直後、走りたいと思った。答えは出た。 一人の自立した社会人として走りたかった。でも、霞(かすみ)を食べては生きていけない。世間には仕事が生きがいという人がいる。でも、当時の陸上界は「スポーツは純粋で金もうけは不純」という建前がぶら下がり、その一方で、自分では切符も買えないエリート選手がいた。いびつだった。 システムを変えたい。組織に縛られず、走ることを仕事に普通の社会人として生きたい。「アトランタを走った動機はそれを訴えたかったからです。何色でもいい、メダルが欲しかった。そうしたら私の声を聞いてもらえると思った」 メダルを取り、いまではプロ宣言をする選手は珍しくなくなった。でも、逆風はあった。「女子だから言える」と男子に陰口を叩かれた。だが、彼女は「男子の多くは安定優先。でも、それは逃げでは。社会を背負っていくのに、男も女もないはず」と言い切る。 ■強気に見えても「挑戦は意識的」 タブーへのあくなき挑戦者。彼女は一見、強気で孤高の人に見える。でも、それはうわべだけだろう。「挑戦はたぶん意識的です。頑張らない自分はきっと普通の人以下だと思う。いつも自信がないんです」 その横顔はエチオピアでも垣間見えた。この地域に根強い女性性器切除の廃絶は国連の目標だ。親善大使としては、現地の人々を前に声高に訴えるべきなのだろう。でも、彼女は健康への影響は話しても「絶対やめろ」とは言わなかった。 「絶対こうすべきって、他者に言えない。私の正しさは違う文化の人々にはそうでないかもしれない。すべきって、人に言えることはすごく少ないと思う」 他人を押しのけられない。「究極のプロとしては失格。金メダルを取れなかった一因かもしれない」 ただ、自分には別だ。マラソンは過酷だ。絞りきった体でも、レースで三キロはやせる。その後、一カ月はどれだけ食べても太れない。彼女は漫画「あしたのジョー」が好きだという。 ■「長生きよりも燃え尽きたい」 「減量中はジョーのポスターを張るんです。燃え尽きたい。長生きするより、そんな人生を送りたい」 そんな甘えを断つ姿勢はいま、プロである自分の身をも切る。「試合で三時間とかの記録ではプロの資格はない。それでプロを名乗り続けることは潔くない」。ことし九月には久々に国際大会、そして来年、国内でラストランに臨む。 「世界で一人しかいない自分」と彼女は繰り返す。それを大切にして、と聴衆に語りかける。「自分で自分をほめたい」はアトランタ五輪の九六年、その年の流行語大賞にもなった。その後、自分で自分をほめることはあったのか。 「ないんです。これからの人生でもう一回くらい、そう思えたら幸せだな」 ありもり・ゆうこ 1966年12月岡山市生まれ。地元の就実高から日体大を卒業後、リクルートへ。女子マラソンで、92年のバルセロナ五輪で銀、96年アトランタ五輪で銅メダルに輝く。現在、スポーツ選手のマネジメント会社「ライツ」役員。スポーツNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」代表、国連人口基金(UNFPA)の親善大使も務める。著書に「わたし革命」(岩波書店)など。米コロラド州ボルダー在住。 読売朝刊連載: [あすへ走る]エチオピア報告1~4
by alfayoko2005
| 2006-03-19 10:22
| ジェンダー・セックス
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