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【響は守れるか 在阪4オケ統合問題】(1)(5/10)
≪夢と現実 「このままでは共倒れだ」≫ 「このままでは、大阪のオーケストラに明るい将来はない。何とかして大阪に健全な運営のオーケストラを残せないか、研究してほしい」 一昨年暮れ、日本芸術文化振興会理事長でサントリー相談役の津田和明が、大阪二十一世紀協会理事長の堀井良殷(よしたね)に相談をもちかけた。 現在、大阪府内には日本オーケストラ連盟に所属するプロが四団体存在する。国内有数の老舗、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪市西成区)と、府が設立した大阪センチュリー交響楽団(豊中市)、NPO法人の関西フィルハーモニー管弦楽団(大阪市港区)、スポンサー企業が支援してきた大阪シンフォニカー交響楽団(堺市)。 大フィルは累積赤字が十六年度末で二億一千万円に上り、センチュリーは財源の文化振興基金が平成二十二年度に底を突く見通し。関フィルの平均給与は二百五十万円未満で、シンフォニカーの経営はスポンサー企業の業績に左右されかねないという課題を抱える。 津田は関フィルの理事を務め、コンサートにも足を運ぶ。四オケの実力も人気も十分理解したうえで訴える。 「クラシック音楽の世界はある意味で夢の世界。しかし夢で終われないのが現実なんです。このままでは皆共倒れだ」 ◇ 大阪府と大阪市、関西経済連合会、大阪商工会議所のトップが個人的な立場で集まる四者懇談会で、府内におけるオーケストラの運営問題がたびたび話題に上りはじめたのはここ数年のこと。 四者はそれぞれ、四オケの強力なスポンサーで、府はセンチュリーなどに約五億二千万円、市は大フィルに一億一千万円、財界は寄付金や法人会員費として二億円以上を援助し、合計で九億円近くにのぼる。 関西経済の低迷や自治体の財政難で、これ以上は支えきれなくなってきたのだ。 堀井は、まず全国の地方のオーケストラの運営状況を調査。集めたデータをもとに全国の楽団員一人当たりの年間収支を算出した。支出は千二百五十五万円で、対する事業収入は五百三十五万円。差額の七百二十万円を、個人・法人会費や企業寄付、行政支援で補う形になっていた。 この収支モデルを、楽団員百人を抱える大編成のオーケストラにあてはめると、単純に考えて年間十二億五千万円規模の予算が必要で、うち七億二千万円を行政と財界の資金援助でまかなうことになる。 ◇ 堀井は当時、三洋電機という有力なスポンサーを持つシンフォニカーは対象外として検討した。 府、市、財界に、国を加えると在阪三オケに対する支援額は計十億円。三オケが百人規模の大編成のオケ一つになれば、支援額を30%カットできる計算が成り立つ。 ただ「各オケとも公演回数を増やすなどの営業努力により事業収入も増やせる見込みはある」と分析。現在の支援額の範囲で、大阪では大編成一オケに加え、その半分の五十人規模の小編成一オケへの援助なら今後も可能という結論に達した。 堀井が今年三月、津田に提示した私案は、大フィル、センチュリー、関フィルの三オケを、大編成のオケ一つと小編成のオケ一つに統合するというものだった。 津田と堀井は早速、財界トップの関西経済連合会会長、秋山喜久に報告。秋山は四月の関経連会長定例会見で、「大阪にある四つのオーケストラを一つに統合してはどうか」と発言し、関係者を驚かせることになった。 堀井は言う。「支援額を減らそうという議論ではない。大阪が育ててきたオーケストラが現在、それぞれに問題を抱えている。それから目をそらせてはいけない。大阪のオーケストラの音楽を失いたくないのだ」 ◇ “秋山発言”に端を発した在阪四オケの統合問題。なにやら一昨年、話題をさらったプロ野球のリーグ統合問題を想起させる。ただ、オーケストラの運営を支えきれなくなった財界や行政の台所事情に帰す単純な話ではなさそうだ。そこには芸術活動をいかにサポートするのか、大阪の文化をどう評価するのか、といった重要なテーマが隠されている。=敬称略 (石井奈緒美) 【2006/05/10 大阪夕刊から】 【在阪4オケ統合問題】(2)オケマンの実情 (5/11) ≪「音楽づくり 金ではない」≫ 「今まで僕たちがやってきたことは伝わってなかったのか。秋山さんは実際に僕らのコンサートに足を運んでくれたことがあるのか」 在阪四オーケストラの統合を提案した関経連会長、秋山喜久の発言が各オケの団員にも伝わったころ、関西フィルハーモニー管弦楽団のトランペット首席奏者、白水(しろず)大介(三〇)はむなしさを感じていた。 関フィルでは、クラシックファン対象の定期演奏会だけでなく、学校を巡回する音楽教室の開催にも力を入れてきた。 「オケの数が減って最初に影響がでるのは学校の演奏会だろう。子供に本物に触れてもらおうと信じてやってきたのに、それさえも否定された気がする」 白水は関西学院大で吹奏楽部のレッスンも指導している。生徒と過ごす時間は、演奏の時と同様に充実している。生徒の奏法の問題を解決しようとすることで自分の奏法の参考になることもあるからだ。 個人レッスンでも数人を教えている。かつて自分が師匠に払っていた謝礼の半分、一レッスン五千円を受け取る。「まだ半人前ですから」。金では代えられないひとときに、満足感を覚えている様子がうかがえる。 ◇ 長崎県出身の白水が、トランペットと出合ったのは小学六年のとき。「金管バンドを作る」と聞いて音楽室をのぞいた。初めて見た本物のトランペットはキラキラと輝いていて、とても美しかった。一目ぼれだった。 中学、高校と吹奏楽部に所属。中学時代には、強豪吹奏楽部を有する大阪の高校からスカウトの声がかかるほどになった。音大を目指したが、教師だった父親は「音楽で食べていけるはずがない」の猛反対。ならば中学時代の恩師のように、吹奏楽部の顧問として音楽と一生かかわっていければいいと考え、長崎大学教育学部に進学した。 大学三年のとき、九州交響楽団のトランペット奏者に師事したことで再び「演奏者でありつづけたい」という思いを強くした。四回生で周囲が教員採用試験の準備を始める中、「二年間だけ大学院に行ったと思って音楽をやらせてほしい。それでだめだったらあきらめる」。そう言って父親を説得、関フィルのオーディションを受けた。 ◇ 「関フィルは給料が安いぞ」。入団前、白水は周囲からよく言われた。関フィルの平均年収は二百五十万円に満たない。一方、十六年度実績で大阪フィルハーモニー交響楽団が約五百五十万円、大阪センチュリー交響楽団が約五百四十万円、大阪シンフォニカー交響楽団が二百八十万円。四オケを支援する財界や行政の関係者はこの給与格差も問題視している。 「音大卒でもなかった自分がプロとして音楽を続けられるチャンスをもらえた。お金のことなんか関係なかったですね」 さらなる夢に向かって白水は昨年一月、アメリカの超名門、サンフランシスコ交響楽団のオーディションを受けた。迷いそうなほど広い専用練習場を見て、街がオーケストラを愛し、大切にしているのを感じた。 世界各地から殺到する応募の書類審査に受かり、サンフランシスコに集まったのはたったの十人。オーケストラの首席奏者という肩書も、書類審査合格の理由の一つだったと思っている。 「大阪に四オケがあって、それぞれが個性を持っているから、自分にも道が切り開かれた。それぞれが違う音楽を作ってファンを増やしてきた。統合はありえない」 日々、自分たちの音楽づくりをしていれば、オーケストラの経営にまで考えは及ばない。“秋山発言”で初めて現実に目覚めたオケマンがほとんど、というのが実情だ。=敬称略 (石井奈緒美) 【2006/05/11 大阪夕刊から】 【在阪4オケ統合問題】(3)新生 大フィル (5/12) ≪一筋の光明 カリスマ出現≫ それはまさに青天の霹靂(へきれき)だった。 「ダヴィドヴィッチは、今回の演奏会で契約が切れます。これまでありがとうございました」 今年三月、大阪市西成区にある大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場。奏者としてオーケストラを引っ張る首席コンサートマスター(コンマス)のバイオリニスト、ロバート・ダヴィドヴィッチの退任が、リハーサルのために集まった団員たちに突然、告げられたのである。 大フィルは、年間百十回以上の公演をこなしている。演奏の負担を軽減するため、本来はコンマスの定員を四人とし、一人ずつ交代で出演させている。しかし、昨年度までは一人欠員の三人体制。さらにダヴィドヴィッチの契約更新が行われなかったことで二人体制になった。 ダヴィドヴィッチは、演奏経験の豊富さと確かな技量、温厚な人柄で、団員だけでなくファンからも人気は高かった。契約更新がなかった理由に、経営上の問題が影響していることを事務局は否定しない。 大フィルは、管楽器の各パートが四人で構成される四管編成という大編成で、在阪の他の三オケが二管編成であるのに比べて、スケールの大きさが特徴となっている。 だが、団員の定員が九十八人のところ、現在は七十七人。今年度は八十二人に増やす計画だが、それでも十分な補充とはいえず、欠員は常態化している。 ◇ 昭和二十二年、指揮者の故朝比奈隆を中心に「関西交響楽団」という名称で設立された大フィルは、日本でも有数の老舗オーケストラとして知られる。 東京出身でありながら、大阪で音楽を作ることにこだわりつづけた朝比奈の姿勢にはカリスマ性が宿り、多くの奏者がひかれ、ファンを作った。平成十三年に亡くなるまで五十五年間、大フィルでタクトを振り続けた朝比奈は長く大阪の文化の象徴でもあった。京都大学法学部の出身で、関西経済界に人脈を持ち、その太いパイプで多くの支援を集めることができた。 しかし、会費が財源に直結する法人会員数は九年度に三百四十五法人だったのが、十六年度で二百二十四法人に落ち込む。 企業の本社機能が東京に移ったことや、景気の低迷が影響していると考えられている。関係者からは「朝比奈時代のパイプはいつまでも続かない」との声もある。 さらに、十三年度から、大阪府の支援が一億一千万円から約七千万円に減額された。府からは単年度貸し付けも受けており、十三-十六年度は一億円、十七年度は七千万円。十六年度末で、九年からの累積赤字は二億一千万円に上る。 大フィルは今年度から、三千百-六千二百円だった定期演奏会の料金を、それぞれ数百円値上げすることにした。 ◇ そんな大フィルではあるが、一筋の光明が見えてもいる。 十五年四月から、現在、世界で最も注目を浴びる日本人指揮者、大植英次を音楽監督に迎えたことだ。大植は昨年、アジア人として初めて、世界屈指の音楽祭の一つバイロイト音楽祭で指揮したことでも知られる。 大植の就任で、新しい音楽づくりにも期待が集まった。大植が指揮する定期演奏会は毎回、完売、補助席が出されるときもある。法人会員数とは逆に個人会員数は、九年度百九十八人が、十六年度で二百二十四人に増加した。 先月二十九日、大阪市の大阪城西の丸庭園で、「星空コンサート」と銘打った大フィル初の本格野外コンサートが行われた。当初、主催者側は三千人の動員を見込み、多くても六千人が来ればいいと踏んでいた。しかし、ふたを開けてみると、曇天の中、一万人近い市民が集まった。 朝比奈から大植へ。新たなカリスマ出現に期待が高まる新生大フィルを、いかに支え、育てるかが問われている。=敬称略 (石井奈緒美) 【2006/05/12 大阪夕刊から】 【在阪4オケ統合問題】(4)存亡かけた交渉 (5/15) ≪冷や汗のスポンサー存続≫ 楽団の存亡をかけて、水面下で交渉が行われていた。 三月三日午後、大阪シンフォニカー交響楽団(堺市)の事務局長、敷島鐵(てつ)雄は、大和ハウス工業本社を訪ねた。 「樋口武男会長に、ぜひ私どもの理事長になっていただけないでしょうか」 必死だった。昨年十二月、これまで理事長を務め、多額の援助金を出して楽団を支えてくれた三洋電機の最高顧問、井植敏から同社の経営不振を理由に、年度末での退任と援助の減額を言い渡されていたからだ。 援助が減れば、楽団は存続できなくなる。大和の担当部長に深々と頭を下げる敷島の額には、脂汗が浮かんでいた。 当時、巨額の赤字を出し、深刻な経営問題を抱えていた三洋を、新聞やテレビが盛んにとりあげていた。これを受けて、音楽界でも「シンフォニカーは危ないのでは」とうわさが流れていた。 ◇ シンフォニカーは、昭和五十五年、敷島の母、博子が、当時音大生だった娘の訴えに奮起。「小さいころから一生懸命音楽を学んできた音楽家の受け皿を大阪に増やしたい」と私財をなげうって設立した。 設立当初、団員に固定給はなく、公演ごとに出演料が支払われた。創設時を知るトロンボーン奏者の野口伸広は「ギャラは一公演二万円程度で、年に三-五回ぐらいの公演しかなかった」と振り返る。 音楽を続けたいと願う団員に支えられたシンフォニカーは、ファンにも認知されて活動の場を広げていく。しかし、公演が増えれば、会場代にチラシなどの印刷代、楽器運搬費…と、経費もかさむ。かといって、入場料を高く設定するわけにはいかない。芸術を街に根付かせるために、オケ運営は外部からの支援なしでは成り立たない。 そんな楽団の窮状を知り、手を差し伸べてくれたのが三洋の井植だった。平成三年から昨年度まで、年間数千万円の支援を続けてくれた。さらに寄付以外にも、よく公演のパンフレットに大きな広告を出してくれた。 タレント、所ジョージを起用した広告で話題となった電話機が大ヒットしたが、好調な業績がオケを後押しするいい時代だった。三洋の芸術支援活動は対外的にも高く評価され、十二年には企業メセナ協議会のメセナ大賞を受賞している。 シンフォニカー側も支援に応えようと、演奏のレベルアップを図った。共産主義が崩壊した旧ソ連や東欧諸国から、優れた音楽家をスカウト。東欧の曲をレパートリーに取り入れるなどして「音に厚みが増した」とファンからも歓迎された。 ◇ 「オーケストラの存在は街の成熟度を示します。どうか、大阪の文化を守るためにも、理事長を引き受けてほしい」 敷島は三月末、樋口にあてた書簡で口説いた。だが、敷島のもとに大和側から返答はなく、焦りが募った。 同じころ、責任を感じていた井植も、パーティーで同席した樋口に理事長職就任を要請してくれていた。大和の創始者は井植の父親、故井植歳男の勉強会に学んだ故石橋信夫。樋口も、少なからぬ縁を感じていた。 年度が変わった四月三日。たまらず敷島は朝から何度も大和に電話を入れた。「理事長就任の件はいかがでしょうか」。敷島のもとに、電話がかかってきたのはその日の午後。「やっと、稟議(りんぎ)が通りました。樋口が理事長を務めさせていただきます」。敷島は大和本社に飛んでいった。 だが、皮肉にも、その日は「在阪四オケを一つに統合してはどうか」と関西経済連合会の秋山喜久が定例会見で発言した日でもあった。 「やっとスポンサーが決まったその日のうちに統合の話が出るとは」 五月一日、敷島は樋口と直接面談。シンフォニカーの活動、運営状況を説明したうえで「統合は絶対にありません」と断言した。 樋口はひとこと、「私の仕事は、理事と法人会員を増やすことですな」と敷島に力強く言った。 シンフォニカーは、スポンサーの撤退という創立以来最大の危機をようやく免れた。=敬称略 (石井奈緒美) 【2006/05/15 大阪夕刊から】 【在阪4オケ統合問題】(5)府民納得させる存在価値を (5/16) ≪一般財源頼み不可避≫ 大阪の街が、まだまだバブルに浮かれていたころ-。 「国際都市・大阪にふさわしい新しい文化の顔ができた。大阪の文化は変わります」 平成二年、関西の財界、自治体関係者が集う新年会で、府庁の幹部が前年に設立したばかりの大阪センチュリー交響楽団(大阪府豊中市)の門出を喜んでいた。 四月に大阪・鶴見緑地で国際花と緑の博覧会の開催を控え、関西経済は絶好調。豊かな税収をもとに府は百億円以上もの大金を投じて文化振興財団を設立した。その基金は主にセンチュリーの運営に使われた。 「大阪の文化が新しくなったなんて簡単に言うが、オーケストラ一つ作っただけで府民にどれだけ分かってもらえるか。(一方通行の)御堂筋の流れを逆にするぐらいの変化でないと、府民には伝わらない」 浮かれ調子だった新年会で、大阪演劇界の顔、藤山寛美があいさつに立ち、文化を創造する苦労を知っているからこそ苦言を呈した。亡くなる約半年前のことだった。 ◇◇◇ 府は戦後間もなく、府政PRなどに音楽を利用しようと、都道府県立としては国内で唯一の吹奏楽団「大阪府音楽団」を設立した。戦争のつめあとの残る街を励まし、学校で吹奏楽部の指導にあたったが、やがてクラシック音楽が普及し、演奏家が増え、ホールが充実すると、より高度で多様な演奏を求める機運が高まってきた。 この時、府音楽団の“発展的解消”の策として出てきたのがセンチュリーの設立だった。府音楽団のメンバー約三十五人のうち三人だけを残し、ほかは国内外から演奏家を集め、結成した。 基金は平成三年には約百十億円に上り、府は、その利子収入だけで運営資金を捻出(ねんしゅつ)できると考えていた。そのころ、バブル崩壊、超低金利時代の到来などは予測できようもなかった。 十六年度末、基金は三十五億円になった。年間約四億五千万円ずつ取り崩してオケ運営に当たることから、二十二年度には基金が底をつくと予想されている。 十四年一月、大阪府と大阪市、関西経済連合会、大阪商工会議所のトップが集まる四者懇談会の会議で、在阪四オケに対する支援の話題が出た。 当時の大阪市長、磯村隆文が「府とか市が出ていって、かじ取りをしてやらないといけない」と、行政主導の救済を提案した。 これを受けて、府知事の太田房江は「これでいいかはわからない。まだ言えないが、方向はできている」と答えた。 その言葉に、関経連会長の秋山喜久は「それでお願いします」と、満足げな表情で話題を締めくくった。 このとき、すでに府はセンチュリーと他団の統合を検討していたのである。 ◇◇◇ センチュリーには抜本的な経営改善が求められている。 十三、十四年度にはそれぞれ六十三、七十五回だった年間の公演回数を、十五年からは九十回以上に増やした。しかし、在阪の他オケが百回以上になるのに比べてまだ少ない。また、十四年度から楽団員給与の10%カット、十五年度以降は定期昇給を停止するなど、経営悪化が楽団員の生活に直結し始めている。 金銭面だけではない。「タッチ・ジ・オーケストラ」と銘打って、学生らが実際にオケのメンバーと同じ舞台に立って、演奏の様子を間近に見たり、楽器にも実際に触れられる独自企画イベントを積極的に行うなど、PRに努めている。 昨年度からは「出張コンサート承ります」と書き込んだパンフレットを作製。オーケストラ公演から室内楽公演までの経費を見積もった演奏会プランを提示し、事務局員らが学校や企業に売り込みに出ている。 府は、基金を使い果たす二十二年度以降は、一般財源から運営資金を確保するという。しかし、「そのためには存在価値を府民に納得させられるオケでなければならない」(伊藤誠・生活文化部長)と強調している。 =敬称略(石井奈緒美) 【2006/05/16 大阪夕刊から】
by alfayoko2005
| 2006-05-16 16:57
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