カテゴリ
お知らせ トランス LGB(TIQ) HIV/AIDS 米政治 国内政治 ジェンダー・セックス バックラッシュ Books Movies Theatres TV & Radio Music Others Opinions 以前の記事
2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
西高 東低 独W杯 (東京 2006/05/21)
サッカー・ワールドカップ(W杯)の開幕を控え、日に日に祭典機運が盛り上がるドイツ。一九八九年の“ベルリンの壁崩壊”後、初めて迎える国際イベントだが、いまだに残る東西の格差は、W杯にはっきりと表れている。 (ライプチヒで、三浦耕喜) ■30対2 東西統一の流れをつくった市民運動発祥の地、ライプチヒ。中心広場では石畳を敷き直すなど、街中でW杯を迎える工事が急ピッチで進む。 だが、W杯で全十二競技場中、東側にあるのは同市とベルリンだけ。正確には、ベルリンも東西分割当時の西側にスタジアムがあるため、旧東独地域では事実上、ライプチヒが唯一の競技場。西側のノルトライン・ウェストファーレン州が一州で三会場を抱えるのとは対照的だ。 三十二カ国から集まる代表チームのキャンプ地に至っては、東側はポツダムに入るウクライナと、首都に陣取る地元ドイツのみ。そのドイツの投宿先もベルリンの“西側”である。 極端な偏りは経済力がまともに反映された結果だ。競技開催地ともなれば、スタジアムの改修、交通インフラの整備などに迫られ、競技場を抱える十二都市の開催費は計十二億ユーロ(約千七百億円)に上った。ライプチヒも民間からの資金集めに窮し、スタジアム管理会社は一時経営難に。競技の開催権を旧西側の都市に売る案も出たほど追いつめられた。 ■移籍 格差は「人」にも表れた。ドイツ代表メンバーは海外も含め西側で活躍する選手ばかりだが、そもそもは、東側で育った人材がことごとく西側に吸い上げられている。代表格はミヒャエル・バラック選手。彼は一九七六年にポーランド国境の東側ゲルリッツで生まれ、九五年にケムニッツでプロデビューした「オッシー(旧東独地域の出身者を表す俗語)」だ。 だが同選手は、九七年に西側クラブに移籍。〇二年には資金力でドイツ一のバイエルン・ミュンヘンへ。さらに、このほどイングランド・プレミアリーグの覇者チェルシーへの移籍も決まった。 同様に、ベルント・シュナイダー、ティム・ボロウスキ両選手も東から西に移った口。このような「移籍」はドイツ社会全体の傾向といえる。 ベルリン人口・開発研究所によると、首都周辺を除く東側は二〇二〇年までに軒並み5-15%の人口減が見込まれる地域ばかり。微増が大半の西側とはっきり色分けされた。今年一月のドイツの失業率は西側10・2%に対し、東側は19・2%。人が流れるのは当然だ。 ■バッハ そんな東側をどう盛り上げるか。ライプチヒが力を入れるのは都市の魅力としての「文化」だ。同市のジラルディット文化担当助役は「W杯は二カ月で終わるが、文化への印象は後まで残る。ここを訪れる観戦客には、文化豊かな街の姿を見てほしい」と言う。 同市で開催される恒例のバッハ音楽祭は、今年はW杯開幕直前に重なった。同市にとって、この街を活躍の舞台にしたバッハは最大の文化遺産。主催者側は百二年の伝統を誇る同音楽祭に、日本も含め有力企業のスポンサーを求めている。 また、同市ではW杯期間中、市内の博物館の開館時間を延長。文化都市のアピールに努める。 同市に限らず、ゲーテやシラーが活躍したワイマール、新古典主義建築の名作「ゼンパー・オーパー」で名高いドレスデン、西洋白磁の代名詞でもあるマイセンなど、文化では東側は負けていない。同助役も「文化は企業のイメージにとって、どこで活動すべきか決定する重要な要素」と期待を込める。 その一方、「でも博物館に足を運ぶサッカーファンは少ないでしょうが…」と同助役。W杯と東側の振興の間には深い溝があるようだ。
by alfayoko2005
| 2006-05-22 09:03
| Others
|
ファン申請 |
||