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中洲・大人の映画館 幕 福岡オークラ劇場 あす閉館 「ピンク」「同性愛」上映 生と性悩みを共有 客と館員作品制作も
=2006/05/27付 西日本新聞夕刊= 中洲のひそかな名所が28日、姿を消す。福岡市博多区中洲の映画館「福岡オークラ劇場」。18歳未満禁止の「ピンク映画」と、男性の同性愛を描く「薔薇(ばら)族映画」を中心に上映してきた。レンタルビデオやインターネットに押されて観客は減ったが、足を運び続ける常連客がいた。映画館のスタッフに悩みを打ち明け、映画論を交わし、一緒に映画まで作る交流の場でもあった。 (社会部・布谷真基、三重野諭) 開館したのは1981年。映画配給会社の大蔵映画(東京)が運営し、当初はピンク映画を中心に上映。84年から2ホールのうちの片方で、薔薇族映画の常時上映を九州で初めて始めた。 評判はすぐに広がり、長崎や鹿児島からも客が訪れ、週末には約70席のホールにあふれるほどだった。 7年前まで受付をしていた阿部正子さん(82)=福岡市東区=は、顔見知りになった客からよく悩みを打ち明けられた。 同性愛が妻にばれて離婚した、職場に知られ退職に追い込まれた、両親に勧められた見合い話をどう断るか…。「居場所がない同性愛の人たちのよりどころだったのでしょう」と阿部さん。 20年間、通い続けた50代の男性は「家族にも言えないことが気軽に話せた。これからどこに行けばいいのか」と嘆いた。 ●オール地元 多くの映画ファンをひきつける映画館でもあった。原慎一さん(33)=福岡市西区=が初めて入ったのは99年。女性客も入りやすいようにと企画された「女性監督によるピンク映画特集」のチラシを見たのがきっかけだった。 企画した女性スタッフも大の映画好きで映画の話題で盛り上がった。頻繁に足を運ぶようになって感動したのは、ピンク映画では有名な荒木太郎監督(45)の作品。食事やおしゃれをするシーンなど、日常の「生」を丹念に描き、人間の内面を映し出していた。「性」を描くだけと思っていたピンク映画への偏見を打ち砕かれた。 原さんや劇場のスタッフらは、ついには荒木監督に「福岡を舞台に作品を」と直訴。原さんのほか、常連客や知り合いの劇団員ら出演者は全員地元、ロケ地も中洲や能古島(福岡市)という「年上の女―博多美人の恥じらい」を2002年に完成させた。 荒木監督は「映画館の従業員も観客も本当の映画好きが集まっていた。こんな劇場で作品を見てほしかった」と残念そうだ。 ●採算取れず 映画全盛期の1950年代後半、中洲の映画館は16館あったが、次々と姿を消し、今後、福岡中洲大洋だけになる。大蔵映画は「4、5年前から毎年、客が1割ずつ減ってきた。採算が取れなくなった」と閉館の理由を説明する。 今月19日夜、劇場では常連客や荒木監督ら約60人が集まって閉館セレモニーが開かれた。舞台では阿部さんらに花束が渡され、関係者があいさつを続けた。誰もが閉館を惜しんだ。 劇場のファンだった小川保博さん(57)=福岡市早良区=は言う。「昭和の空気が残る映画館がまた1つ消える。寂しい」 セレモニーを終えた一団は、「年上の女」のロケ地、中洲の福博であい橋に移り、小雨が降る中、ビールを片手に思い出話や映画談議を深夜まで交わしていた。 =2006/05/27付 西日本新聞夕刊=
by alfayoko2005
| 2006-05-28 01:45
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