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オランダ、自由ゆえの不寛容
移民難民の疎外、顕在化 イスラム排除の矛先に 内藤正典 一橋大教授(多文化共生論) (朝日 2006/06/05夕刊・文化面) ないとう・まさのり 56年生まれ。東京大卒。著書に『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、『イスラーム戦争の時代』(NHK出版)など。 近年、ヨーロッパ各国に、「自由」と「不寛容」が共鳴しあいながら、移民や難民を疎外する現象が顕著となった。自由意思の尊重が、他者に対する寛容には向かわず、不寛容の肯定に使われていることに、深い懸念を抱かざるをえない。ここでいう他者とは、主としてイスラム教徒の移民や難民である。 先月オランダで、イスラム社会の人権抑圧を糾弾してきたソマリア出身の女性、アヤーン・ヒルシ・アリが亡命申請にあたって虚偽の申告をしたとして、国会議員(自由民主党VVD)を辞任し、同じ政党のフェルドンク移民担当相が、国籍の剥奪(はくだつ)を通告した。オランダに亡命した際、入国経路と氏名を偽ったというのが剥奪の理由である。彼女の経歴を暴露するドキュメンタリー番組が放送されたことがきっかけだった。 国籍剥奪の宣告は欧米諸国から厳しい反発を招き、バルケネンデ首相は、移民担当相に再検討を指示し、一転して国籍の再申請を認めることになった。だが、ヒルシ・アリは、裁判で争うこともなく、オランダでの政治生命は終わったとして、あっさりとアメリカの保守系シンクタンクへの移籍を発表した。彼女を一躍有名にしたのは、04年におきた映画監督テオ・ファン・ゴッホの暗殺事件だ。原案を提供した映画「服従」で、母国ソマリアでの過酷な体験をもとにイスラム社会での女性の人権抑圧を鋭く告発したのである。映画はイスラム教徒の激しい怒りを買い、監督は移民青年によって惨殺された。 事件は、ムスリムが表現の自由に不寛容だという非難を巻き起こし、9・11をきっかけに急激に高まったイスラム・フォビア(反イスラム感情)や多数の移民・難民を抱えることへの不満と共鳴し合って、ヨーロッパ各国でゼノフォビア(外国人憎悪)の高揚をもたらした。だが、彼女を告発した番組は、少女時代の過酷な体験も偽りだったと伝えた。もしそうなら、イスラム教徒の憤激と彼らへの嫌悪、そして映画監督の死は何だったのか。 規制の陰に外国人憎悪 多文化主義による異文化との共生をうたってきたオランダ社会では、ここ数年で、寛容の限界を指摘する声が高まった。自由民主党は、彼女の発言を利用して、オランダ社会に統合されないイスラム教徒を批判し、多文化主義政策の破綻(はたん)を追及してきた。押し付けがましい規範を拒否する自由主義(リバタリアン)政党であるから、イスラムのように明快な行動規範をもつ宗教を嫌悪する。 党幹部は、英語で自らを「リベラル」と名乗るが、誰を嫌うかに関しては、米国のネオコン(新保守主義)に通じるものがある。彼らが主張する移民・難民規制の強化やオランダ社会への同化要求は、多数を占めるムスリム移民・難民への差別や排斥と重なり合う。 彼らは、自らを偏狭なナショナリズムに基づく「極右」とは考えていない。危険性はここにある。むしろ、自由を希求する人々が、閉鎖的環境のなかでの快適さを求め、異文化との疎ましい共生を拒絶するために「内なる壁」を築こうとしているのである。だが、その帰結はゼノフォビアの表出でしかない。しかも、人権と民主主義に反するイスラムへの嫌悪という大義名分を掲げるので、ゼノフォビアが隠蔽(いんぺい)される構造にある。 協調共生の崩壊を意味 あらゆる規範の干渉を排することで、個人の自由を獲得しうるという思想は、神学の優位を否定した啓蒙(けいもう)主義に連なるものであり、ヨーロッパ社会に広く共有されている。厳格な世俗主義を採るフランスが、公的領域でのイスラム教徒女性のスカーフを禁じるのも、宗教的規範からの自由が、個人の自由意思を実現するという確信に基づく。ムハンマド風刺画問題で、デンマークのラスムッセン首相が、表現の自由を侵せないと主張したのも、同じ理念に立つ。 ヨーロッパにおいては、国家をキリスト教会から分離させる世俗主義が、自由意思の尊重を成立させた面は否定できない。だが、個人の自由意思を先鋭化させることが、異文化を背負う他者の排除に向かうなら、ヨーロッパがEU(欧州連合)統合によって築こうとしてきた協調体制が内部から崩壊していくことを意味する。昨年、フランスとオランダの国民が、EU憲法条約批准を拒否したことも、自由意思の発露としての「内向き」な選択であったことを思い出さずにはいられない。 (写真)記者会見するアヤーシ・ヒルシ・アリ(右)=5月16日、オランダ・ハーグで、ロイター
by alfayoko2005
| 2006-06-08 21:26
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