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モーツァルト生誕250年、海老沢敏さんに聞く――大騒ぎせず静かに聴こう (日本経済 2006/06/22夕刊)
文化性にもっと目を 小林秀雄さんの音楽論『モオツァルト』から、私が受けた衝撃は大きかった 今年はモーツァルト生誕二百五十年。世界的なモーツァルト研究者として活躍する海老沢さん。子どものころにそのレコードに出合って傾倒、モーツァルトを語り始めると、物静かな語りのオクターブも自然と高まる。 「日本のクラシック音楽愛好家の間で今、最も親しまれている音楽家でしょう。明るくて濁りのない音楽性、豊かな人間性。人間の肉声に根ざした自然な息づかいが濃厚に伝わるから、人々の心を打つ。音楽による会話の達人。親しみやすいといっても決して軽くない。聴き手が自分の好みに応じて楽しむことができる。そうしたところが、日本人の感性に合っているのではないかと思います」 日本でモーツァルトが初めて演奏されたのは幕末といわれる。明治以降も東京音楽学校(現東京芸術大学)の奏楽堂などで演奏された。だが、ベートーベンの存在が大きく立ちはだかった。モーツァルトの人気が高まる起爆剤は、戦後間もなく発表された評論家、小林秀雄の『モオツァルト』である。 「当時、旧制中学の生徒だった私は、自宅のレコードなどでモーツァルトに触れてきた。でも、小林さんのユニークな音楽論に接したときの衝撃は強烈でした。私など昭和一ケタ世代などが彼にひかれたのは、小林さんの影響が大だった。あの作品が、彼の音楽を愛する人々の魂を震撼(しんかん)させた。日本のモーツァルト愛好の歴史を一挙に切り開いたといってもいいと思う」 さらに、「二期会や藤原歌劇団など日本のオペラグループによる歌劇の上演、LPレコードの発売など、実際に自分の耳で聴く作品の幅が広がったことも、日本での人気に弾みをつけた」とみる。 その後、小林とモーツァルト談議をする機会も得た海老沢さんは、大いなる刺激を受け、薄命の音楽家が表現しようとした世界を再現、再創造しようという試みに挑み続けてきた。今も『モオツァルト』を幾たびとなく読み返しながら、音楽を聴き人間像に思いをはせる。 今年の人気ぶりは異常。まさに“モーツァルト狂騒曲”が奏でられている状況ですよ 生誕地ザルツブルクでの記念コンサートなど、国内外で記念イベントが相次ぎ、CDや関係図書の発売なども目白押し。だが、海老沢さんは、「今年は静かにしていたい」と現状を厳しく見守る。 「一九九一年の没後二百年のときも異常だった。美しく貴重な自筆譜が、投機の対象のように切り売りされるなど、バブル的な狂騒が見られました。でも、今年はそれに拍車をかけたような状況だと思う。だから、今年は憂うつなのです」 「関係書やCDなどはまだしも、彼の楽曲の癒やし効果が強調され、それを商品化する動きもみられる。『モーツァルト・ビジネス』が、次々と立ち現れてくるのは、何となく納得できない気がします」 「いくら親しみやすいからといって、彼を商品扱いするような過熱ぶりが、私にはいささか心配です。彼は商品ではないし、薬でもありません。きっと本人もこの現象を天国で苦笑しながら見ているのではないでしょうか」 今こそ、「世界的な文化的財産」であるモーツァルトの音楽に静かに耳を傾けよう モーツァルト人気をビジネスに生かそうという動きに強い違和感を感じる海老沢氏。「偉大な音楽家に今こそ真摯(しんし)に向かい合い、その貴重な遺産を大事に受け継いでいくべきだ」と力を込めて語る。 「私が、『文化財としてのモーツァルト』という考え方や概念を強く主張し始めたのは、九一年ごろから顕著に見られるような事態に危機意識を抱いたからです」 「ただ、そうした中でも、九〇年代に、ザルツブルクの『モーツァルト生家』が復元されました。この家は、単に彼が過ごした場というだけでなく、彼が遺した貴重な楽譜や手紙の自筆譜などが、安全な空間に保管され、研究に役立たせることができる可能性が大きくなったのです。その事業に、日本の生命保険会社が資金供給などに大きな役割を果たしました。これは、非常に評価されるべきことだと思っています」 しかし、近年、日本の経済界では、音楽をビジネスに活用しながらそのプラス効果を文化に還元しようとしない傾向を憂慮する海老沢氏。こう強調する。 「せめて彼によって得た利益の一部をモーツァルトの研究や資料保持などのために還元してほしい。ところが、経済界にはなかなかそうした関心が示されません。メセナに対しても一時ほどの熱がない。国も企業も文化にもっと関心を示してほしいですね」 モーツァルトを一曲でも聴きながら、見つめ直すことの重要性を強調する。 「一七〇〇年代後半のわずか三十五年間におよそ七百曲作られたモーツァルトの音楽作品に視線を向け、彼が私たちに与えてくれたものをじっくり見つめ、熟考すべきだと思います」 「彼の書簡集をひも解いても、そこには喜びや悲しみ、怒り、恋の告白や父への愛情、友人への真摯な友情もある。そうした人間的な彼のメッセージをしっかりと受け止め、理解する。それが、モーツァルトに対する私たちの責務だとも思うのです」 音楽家にとって大事なのは作品。「彼の精神に即した音楽の演奏を続けていくことが、文化財としてのモーツァルトを大切にすることになる」という海老沢さん。終曲をこう結んだ。「何よりも彼の作品を一曲でもいいから、じっくりと静かに聴いてほしい」(編集委員 栩木誠) えびさわ・びん 1931年東京生まれ。55年東京大学文学部美学美術史学科卒。同大文学部助手、国立音楽大学教授、同大学長、学園長、新国立劇場副理事長などを歴任。日本モーツァルト研究所長などを務める。『モーツァルトを聴く』『超越の響き』『変貌するモーツァルト』など著書多数。 アンネ=ゾフィー・ムター――完璧な音世界にもどかしさ(クラシック) (日本経済 2006/06/22夕刊) ドイツのヴァイオリン奏者、アンネ=ゾフィー・ムターは少女時代に晩年のカラヤンに才能を見出(みいだ)されて演奏活動をはじめ、今年でちょうど三十年。モーツァルトの生誕二百五十年ということもあって、その主要ヴァイオリン作品の連続演奏会によって彼女の今を広く世に問うている。十六日、サントリーホールにおける演奏会もすべてモーツァルトのソナタで固められていた。 前半にはウィーン時代の三曲、第三十二番、第四十一番、第三十五番が演奏された。第三十二番の晴朗な旋律が流れ始めると、この奏者が間違いなく世界最高峰の技量の持ち主であることが実感される。楽器を的確にコントロールし、ふさわしい響きを奏でる力はずば抜けている。伴奏のランバート・オルキスもしかり。ピアノという楽器の能力の限界近くまで突き詰めた表現でムターのソロに呼応する。 ところが第四十一番、第三十五番と聴き進めていくうちに、彼らのあまりにも完璧(かんぺき)な音世界に聴き手である自分が加わっていけないもどかしさを抱き始めた。そこにはモーツァルトの音楽に不可欠な即興性、アレグロ楽章特有の爽快なテンポ感、そして緩徐(かんじょ)楽章の自在な呼吸に支えられた歌といったものが欠如しているのである。 後半の短調作品、第二十八番ではロマン派の作品を予告するような情緒を醸し、モーツァルト演奏の新たな可能性を模索したところは評価したいが、最後の第四十番では再び彼らの世界に帰って行った。 少女時代から超優等生を通してきた演奏家がその究極の形を示したといえば良いだろうか。大いに感心したものの、最後まで音楽を楽しむことはできなかった。 (音楽評論家 岡本 稔) 【図・写真】演奏するムター(左)=撮影・池本 さやか
by alfayoko2005
| 2006-06-22 22:40
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