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洗礼者聖ヨハネ(San Giovanni Battista)1513-1516年 レオナルドの眼(3)「顔」の発明――習作の果て到達した理想(美の美) (日本経済 2006/07/23朝刊) レオナルド・ダ・ヴィンチが描く人間の顔つきはどこか変わっている。男なのか女なのか、わからないことが多い。見る人を幻惑させる「顔」こそ、余人になし得ない発明だった。 一度見てしまったら、夢に出てきそうな絵だ。この微笑は人の心を波立たせ、不安にさせる。レオナルドの絵画の中でもっとも評判がよくないとさえ、いわれている。けれど、これはまぎれもない傑作なのだ。 傑出しているゆえんは、有名なスフマートと呼ばれる技にある。線を用いず、光と影の効果だけで立体を表現する。レオナルドは指までつかって、古代から伝わる描法をきわめた。 油絵の具の色に影響しない透明な塗料を辛抱づよく何層も塗りかさねる。ほのかな陰影が生まれ、輪郭はあいまいになる。限りなくうすく塗るから、絵肌が盛りあがることはない。「洗礼者聖ヨハネ」はスフマートの最高の達成なのである。 聖書によれば、はじめに言葉があり、その言葉は神とともにあった。万物は言葉によって成り、言葉のうちに命があり、命は人間を照らす光であった。その光の証しをするため神から遣わせられたのが、洗礼者ヨハネである。いわば光の証人だ。 絵の中の洗礼者ヨハネは暗黒の世界でまさに光を発している。画面の外から来る光を反射する。これは人物像でありながら、光の像でもあるのだ。 それにしても、この絵が映す含み笑いは謎めいている。 ここでは高名な美術史家ケネス・クラーク氏の解釈を紹介しておこう。あくなき自然の探究者レオナルドは、光の秘密にかかわる洗礼者ヨハネの幻にとりつかれていたというのだ。 「ヨハネは事あるごとにレオナルドの耳元に口をよせ、解けない謎を問いかける霊であり、スフィンクスの微笑を浮べ、取りついて離れない幻影のような力をもつ旧知の者なのだ」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』第2版) スフィンクスとは、ギリシャ神話の怪物。通行人に謎をかけ、答えられないと殺した。本来は上半身が女で、下半身はライオンだが、レオナルドの観念にすみついたスフィンクスはこんな顔つきをしていた。そう、クラーク氏は言いたいわけだろう。 トスカーナの農村で生まれたレオナルドはフィレンツェに出て、ヴェロッキオの工房で学んだ。三十歳になる年にミラノへ移り、宮廷芸術家として二十年近くを過ごす。フランス軍侵攻を機にミラノを脱出してフィレンツェに帰る。ミラノ、ローマを転々とした後、最晩年はパリ近郊で暮らした。 □ ■ レオナルドの人生の軌跡は、それほど複雑ではない。だが試みたあれこれを拾いあげようとすると、あまりに膨大で書きつくすのは難しい。 まず戦車をはじめとする数々の兵器を構想した。イタリアは都市国家の間で抗争が絶えない時代だったからだ。ヘリコプターや潜水艦の技術を研究し、ミラノを理想都市にするため都市計画にかかわった。アルノ川を改修し、運河を造ろうとしたこともある。 音楽家でもあった。ヴァイオリンの前身のような楽器を自ら作り、歌った。音楽、演劇、祝祭などの催事をとりしきる宮廷の総合的なデザイナーを務めていた。 画家で美術史家のヴァザーリが書くとおりだったのだろう。 「もしあれほどに多様で変わりやすい性格でなかったならば、偉大なる成果をあげていただろう。彼は多くのことを学ぼうとして、始めたかと思うとすぐやめてしまうのだった」(『ルネサンス画人伝』) あふれるばかりの創意をもったレオナルドは、やりとおすことができない性質だったらしい。デッサンの片隅や手稿に、こんな言葉をくりかえし走り書きしている。 「教えてくれ、これまで何かやりとおしたことがあるのか」 レオナルドが書きなぐる「教えてくれ……」には、なんだか鬼気せまるものがある。放心したように、そうつぶやいたとき、レオナルドの瞳に洗礼者ヨハネの幻影が映じたのだろうか。 レオナルドの絵画作品(デッサンをのぞく)で全画面が真作と断定できるものとなると、十もない。そんな貴重な絵画の最後を飾るのが「洗礼者聖ヨハネ」であり、六十七歳で亡くなる数年前に描かれた。レオナルドが最後の最後に到達した顔が、これだったことだけは確かだ。 果たしてこの顔、男なのか、女なのか。 ▼聖書の中のヨハネ 洗礼者ヨハネはイエスの先駆者。人々に罪の悔い改めを説教し、洗礼を授けた。イエスも洗礼を受けた一人。サロメは継父のユダヤ王ヘロデに、その首を求めた。一方、十二使徒のヨハネは大ヤコブの弟で、若年ながらイエスの信頼を一番得ていた。第四の福音書、黙示録の著者。イエス死後、エルサレム教会の指導者となった。
レオナルドの眼(3)「顔」の発明――性差超えた笑み、何を映す(美の美) (日本経済 2006/07/23朝刊) あらためて画集を繰ってみると、レオナルドは男か女かわからない人物をしきりに描いている。たとえば、最初期の作品「受胎告知」の大天使ガブリエル。この顔は男だと言われれば、そう見える。女であると言われたら、どうか。そう見えなくもない。 ドイツの神学者がまとめた近刊の『天使の文化図鑑』によると、中世に男性の姿をとっていたキリスト教の天使はしだいに女性化した。ガブリエルの場合、ルネサンス時代にはほとんど女性になった。ところがレオナルドのガブリエルは、どちらともいえない。 「洗礼者聖ヨハネ」も、やはり性差はないと見るべきだろう。男でも女でもない両性具有的な存在だというのが定説だ。どう考えたら、いいのか。 顔から性差が消える理由の一つとして指摘されているのが、レオナルドの同性愛。古代ギリシャの社会では、同性愛は異性愛にまさる高貴なものだった。キリスト教会はこれを禁じたが、ギリシャの文化に深い影響を受けたルネサンスの都フィレンツェでは、大目に見られる雰囲気だったという。 二十代半ばのレオナルドが少年とあさましい行為をしたとの告発状を出され、あやうく罪を免れた逸話は有名だ。三十代後半になると、美少年を家に入れた。それから二十年あまり一緒に住むことになる。盗みをくりかえすこの少年をサライ(小悪魔)と呼んでかわいがり、画家に育て、遺言で土地も分け与えている。記録を洗っても、レオナルドの生涯に女のかげはない。 「(同性愛の)証拠は彼の作品の多くに内在していて、なぜ彼が好んで描く人物像が男女両性型なのか、なぜ彼が描く人体が一種のけだるさをただよわせているのかを説明している。そしてこのような人体や人物像は、敏感な人ならば、他人から指摘されるまでもなく、すぐそれとわかるものなのだ」(ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』第2版) □ ■ こんな言い方もできる。レオナルドは、デッサンに次ぐデッサンによって顔の形をこしらえた。それらのサンプルを視覚として完全に記憶していたが、顔の習作が理想の形に達すると、性差がなくなる――。 「よく見てください。こちらは『岩窟(がんくつ)の聖母』のマリア、こちらは『最後の晩餐(ばんさん)』の使徒ヨハネ。並べてみると、そっくりでしょう」 レオナルド研究の権威アレッサンドロ・ヴェツォシ氏は、そう言って画集を開いた。 「レオナルドはデッサンによって描く顔を作りあげる。それをいろいろな画面にあてはめていく。だから、その顔が聖母マリアであるか使徒ヨハネであるか、男であるか女であるか、そうしたことに深い意味はありません」 「洗礼者聖ヨハネ」の顔についても、別の絵の天使が変じたものだという説がある。レオナルドの場合、はじめに顔ありき、なのである。 レオナルドは言われるとおり「なにも完成しなかった」(ヴァザーリ)のだろうか。たしかに夢想した飛行機や潜水艦は造れなかった。だが男でも女でもない「顔」ばかりは、たしかな発明品として後世に残すことができたのではないだろうか。 レオナルドがこだわったのは、顔だけではない。人体研究にかけても、疲れを知らない男だった。冬の夜長は夏に描きためた裸体画から一番立派な肉体を選んで練習し、覚えこむことが大切だと手記に書く。裸体画の裏づけは、死体の解剖によってなされた。 「どうして画家は解剖学を知る必要があるのか――裸体の人々によってなされうる姿勢や身振りにおける肢体を上手に描くためには、腱や骨や筋や腕肉の解剖を知ることが画家には必要である」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』) まったくもって、ルネサンスはすごい時代である。画家が絵を描くために死体を解剖することは珍しくなかった。レオナルドは腐臭をものともせず、約三十体もの解剖をおこなっている。人間の腕と猿の腕、人間の足と馬の足を比較研究したりしている。だれそれの体、だれそれの顔というより、ヒトの体と顔を描いている感じなのだ。 「洗礼者聖ヨハネ」の天をさす指と腕はまさに……。 美術評論家の布施英利氏(美術解剖学)は、医学部の研究室でレオナルドの解剖を追体験したことがある。デッサンのとおりに切断するのは重労働で、めまいがした。手首を握っていると、「ああ、これはまぎれもない人間の体だったんだ」というリアルな感触を味わったという(『君はレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか』)。 その布施氏に聞いてみた。 「彼の絵を見ていると、死体を見ているような気がする」 開口一番、死体という言葉を口にした布施氏はつづけた。 「レオナルドは手首を回転させるとき、骨がX状に動くさままでデッサンしている。そこまで解剖図にした人は、当時いなかったんじゃないかなあ。内側から構造的に人体を把握している。美術館で見ても、他の画家の作品とはジャンルがちがう。他の画家の作品が絵だとすれば、彼のは設計図です」 レオナルドの探究は、世界で一番有名な絵に結実する。文・内田洋一
男?女? レオナルドの「顔」は性差を超える 上の二つの顔は性別はちがっても顔がそっくりな例。左が「岩窟の聖母」(ルーヴル美術館蔵)のマリア、右は「最後の晩餐」(ミラノ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)の使徒ヨハネ。キリスト最愛の年若い使徒ヨハネに、聖母の顔をあてはめたとすると、レオナルドが少年に理想美を見いだしていたとも考えられる。 「美の巨人たち」―テレビ東京系列ほかで、毎週土曜日に放映中
by alfayoko2005
| 2006-07-23 10:02
| ジェンダー・セックス
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